見出し画像

ギブ(GIVE)できる人に憧れた私が、「ギブは頭で考えることなのか」と悩んだ末に「ギブは自分ではわからない」と気づいた話。

こんにちは。サウナが好きな管理栄養士のMIKIです。

突然ですが、「ギブ(GIVE)」という言葉を知っていますか。
直訳すると「与える」という意味ですが、
「相手のためを思うこと」という意味でも最近は使われています。

サラダをとっさに取り分ける人、
先の予定を確認してくれる人、
心配して気にかけてくれる人。

こういった人はギブ精神を持った人、ギブしている人なんて表現することがあります。ギブ=気遣いです。
ギブする人の何がすごいって、純粋に頭ではなく心で動いていて、見返りとか考えていないんですよね。

一方で私は、「ギブができない」という悩みを抱えていました。

サラダなんて自分で好きな量とればいいと思っているし、
自分の予定の確認が精いっぱいで他人のことは気にしていられない。 

自然とギブする人と触れ合うたびに
「この人は自然と気遣いをしているなぁ。私にはできないことだなぁ」と尊敬とあきらめの気持ちを抱いていました。

前置きが長くなりましたが、
この記事ではギブができないと悩む私が
ギブする社会を目指す本を読んでみたけれど、
結局「ギブは自分ではわからないやん」と気づいた過程をつらつらと書いていきます。


ギブ精神について語る本「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」

気遣いに憧れるけど実践できないときに出会ったのが「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」という本でした。


この本では、西国分寺駅にある「クルミドコーヒー」を経営する著者がギブ精神を大切さ、そしてギブ精神を主とした社会にすれば幸せな社会が築けるのではないかと提案しています。


誰もが持つ感覚「健全な負債感」がギブ社会の経済を回す

健全な負債感とは、いわばお返ししたくなる気持ちです。
人は想像以上にいいものを受け取ると、自然とお返ししたいと思う潜在的な働きがあります。

(反対に相手が相手の利益を優先していることを感じると、自分も損したくない・得してやろうという気持ちが働きます。値引きになっているときしか買わないとか。)

「ゆっくり、いそげ」ではお客さんにギブをすることで
お客さんに健全な負債感を感じさせると、
今度はお客さんがギブしてくれる。
ギブの循環が起こると考えられています。

お店が価格以上の価値を提供する(ギブ)

お客さんが「いいものを受け取った、お返ししたいな」と思う(健全な負債感)

お客さんが何らかの形でお店を支援する(SNSでシェアする、何度も訪問するなど)


相手を利用しようという策略ではなく、
お互い支援し合おうという優しさが循環を生むんですね。
まさに「情けは人の為ならず」です。


「でもギブって頭で考えるものなの?」という葛藤

「ゆっくり、急げ」を読んでギブはやっぱり大切だと思った。
ギブする人になりたい!心がけよう!と勢いづいたところで、ふと思う。

でもギブって頭で考えるものなの?

私が見ていたギブは、みんな頭ではなく”心”で動いていました。
もちろん多少は考えていることもあると思いますが、その原動力はもはや頭ではありません。無意識にギブしたいと思っているから、自然と手が動いているわけです。

それなのに「よし、この行動はギブだ!」と頭で考えながら動くことは果たして本当にギブなのか。頭で考えている時点で何かしらの見返りはちらつくし、何か狙いを持っている。これはギブじゃないのでは?と思うようになってしまいました。

そんな葛藤を持っていた時期に、ある出来事が起こります。
この出来事があって私は「結局ギブしているか否かは、自分ではわからない」と気づきました。



「何かお返ししたいんだ!」と言われた出来事

私は普段、管理栄養士としてLINEでダイエットのサポートをしています。
それまでは既存サービスの業務委託がメインでしたが、2021年に自分でも「チームダイエット」というサービスを始めました。

見出しにある「何かお返しをしたいんだ!」と言ってくれたのは、その参加者の1人Aさん。

Aさんがチームダイエットに参加してくれたときは、まだサービスの出来立てほやほやで、私も自信がなかったのでモニター価格として参加していただきました。

プログラムが終わってからAさんにお会いした時です。
「あのプログラムに参加して、すごく良かったなって思ったの。だからお返ししたいと思ってて!レビューとかかけるけどどうかな?」
と言ってくれました。

正直びっくりした。驚いたと同時に「これが健全な負債感か」とも思いました。

思い返せば、私はプログラム中に「どうしたらみんながダイエットを続けやすいだろうか、どんな情報があったら便利かな」と考えていました。最初はサービスをよりよくするためと思っていましたが、時間が経つにつれて”参加者のためになることはなにか”を軸に考えていた気がします。

あ、私ギブできていたんだ

健全な負債感を受け取ったということは、ギブができていたということです。

Aさん言葉で私は
・それまで自分はギブできないと思い込んでいた私がギブできていたこと、
・自分ではギブしていないと思っていたことが相手はギブとして受け取っていたこと
に気が付かされました。



健全な負債感を受け取ったとき、自分のギブに気が付くのだろう

この経験で「ギブは自分ではわからない」と思いました。後から見てギブしていたことも、その時は「私は今ギブをしているんだ」なんて考えていませんでした。

私が見ていたギブしている人も、自分がギブしているなんて考えずに動いていました。私はそのことを、この記事の1番最初に書いていました。

ということは、ギブはこういうことではないでしょうか。

  1. その行動がギブかどうかは、動作を受け取った相手や見ていた第三者が感じることであり、行動した本人は気が付けない。

  2. 健全な負債感を感じた相手がお返しをくれたとき(感謝の言葉など)、初めて行動した本人がギブしていたことに気が付く

  3. 自分で自分をギブする人間だと認識するのは無理

当初の私は3に気づいていませんでした。そして自分はギブできない人間だと思っていた。今考えれば、リアルタイムで自分がギブできていると思っている人なんてほとんどいないですよね。


結局は、相手のことを考えられたかどうか

結局、頭で考えちゃう私に今できることは
「ギブに近づくために相手のことを考えて行動する」
が限界かなと思います。

私の行動がギブ(相手に想像以上の価値を与える)かはわからないけど、
少なくともギブに近づくためには相手のことを考えていたかが重要でしょう。

まとめると
私はギブできる人に憧れているけれど、
ギブは自分では気が付けないと分かったので
ギブにつながるよう相手のことを考える
ことを意識していきたいなと思います。

まとまったかな?笑
ギブは自分ではわからない、でも近づく努力は大事ということが伝わればうれしいです。

===

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?