見出し画像

藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(1)精神科のお薬のこと

パキシル、アモバン、ドグマチール、トリプタノール、デジレル、リーゼ、ワイパックス、デパス、ヒルナミン、テグレトール、デパケン、ロゼレム、ルーラン、ラミクタール、マイスリー。

精神科通院歴約15年。思い出せる範囲でこれだけの精神科薬を減薬、断薬してきた。

担当医から減薬の提案をしてくることは一切ないため、減薬したい旨を自分から話してみて、減量or断薬できたものもあれば、どんなに調子が良くても断薬の了承が得られず、強硬手段ではあるが自ら服用をやめ数ヶ月様子を見、「○ヶ月飲んでいないが体調に全く変化がない」と医師に報告し処方箋から消えた薬もある。

リストの最後の3つは、数年前の時点で担当医が了承した最低限の量まで減らすことができた。スマホのお薬手帳アプリには2018年の3月からの記録が残っていて、その時にはすでにその3つで、以下の処方量になっている。

ルーラン4mg 1錠
ラミクタール100mg 1錠
マイスリー5mg 1錠

ルーランは16mg×2の時期もあったので、ここまで減薬できたことはとても嬉しかったし、誇らしかった。

なんとか自分を変えたくて、一大決心をしてパートの仕事を始めたのが5年ほど前。少しずつ働ける日数も時間も増え、正社員の比ではないものの、安定したお給料の額がもらえるようになった。すると、自分の好きなことに対して行動的になり、語学セミナーに参加したり、自己啓発系の講演会に行ったり、定期的な運動も始め、体調はどんどん安定し減薬も進んでいった。

しかし、予後不良の病気を患った以上、最小限の薬は一生飲み続けるべきなのだろうと諦めていたので、薬を完全にやめられる日が来ることはないと思っていた。
何より、わたしが病気になったことで家族をはじめ、迷惑をかけてしまった人たちがいる。心配をかけたくない。具合が悪くなってしまったら、会社にも迷惑がかかる。クローズドで働いているので、おかしくなった恥ずかしい姿を同僚に見られたくない。友達に嫌われたくない…などなど、心の中でいろんな気持ちが渦巻いていて、健常者のように元気になったとしても、保険のために飲み続ける責任があると感じていた。

以前から車の免許が取りたかったので、体調がやや上向いたころ、添付文書に運転を避けるよう注意書きがあるルーランをやめられるといいなあ、と思うようになった。
担当医に車の運転がしたいと話してみたこともあるが、許可はもらえず、東京にいるなら車は乗る必要がないのでは、と言われた。まあそれはそうなんだけど、そうなんだけども、そういうことじゃないんだよ…とすごくモヤモヤしたのを覚えている。

ルーラン4mgを寝る前に1錠、というところまで減薬に成功しても、担当医は断薬には了承してくれない。「あなたは不安定だから」という理由で。睡眠薬の断薬が先と言われ、やめようと頑張ったが、ただやめるのは難しかった。
一時、担当医の提案でロゼレム(メラトニン様の作用の依存性の少ない睡眠薬)を試したが、マイスリーが処方から外されたため、全く寝付けない。睡眠導入剤をやめたのだから当たり前だ。ウトウトはするが、朝まで薄く意識が保たれたままで寝落ちすることができず、1ヶ月後またマイスリーのみの処方に戻った。やはりやめるのは難しいのか…ととても落胆した。

眠れない1ヶ月は、ただただ辛かった。

(ロゼレムは2010年発売で、2014年にプロモーション強化が始まっているので(※1)、担当医が提案してきたのはたぶんその頃だったのではないかと思う。長年の栄養不足と精神科薬の長期服用で、常に頭がぼーっとしていることが多く、時間の流れを正確に把握できるようになったのはここ数年のことなので、闘病中の記憶はいつも曖昧だ。)

そのマイスリーをとうとうやめたのが、昨年12月。藤川理論を実践しはじめたのが昨年の6月なので、10年以上飲み続けた薬が、栄養を強化することで半年で処方箋から消えたことになる。
正確には、昨年10月ごろからマイスリーなしで寝落ちすることが多くなったので、「飲まなくてもいいのでは?」と感じてやめてみたところ、そこから必要なくなった。

睡眠薬には様々な種類があり、マイスリーは寝付きを良くするタイプのもの。飲むと気持ちが楽になる作用があり、体がふわふわと軽くなり幸福感が短時間もたらされ、気がつくと寝ている。処方された当時は、短時間の作用で翌朝に残りづらく、依存性もないと担当医は言っていた。

だが、この間受診の際に「日が長くなり暑くなると、眠りが浅くなり数時間で起きてしまう。でも断眠しつつもトータルの睡眠時間は確保でき、元気に働けているので大丈夫だと思う」と報告したところ、「今は依存性の少ない睡眠薬もあるから飲んではどうか」と言い出したので、改めてマイスリーの依存性について尋ねたところ、「依存性はある」との回答だった。

一瞬頭の中で「ゴルァ!!」と激怒しかけたが、「いや、この人たちには製薬会社の薬しか治療のカードが無いのだから、これは彼らにとって、わたしにできる最善の提案なのだ」と思い直し、提案に感謝しこのまま様子を見てみると伝えた。おそらく担当医はベルソムラの処方をしようとしていたのだろうと思う。

「周りの人のために薬は飲み続けなければ」と考えていたこともあり、減薬や断薬はわたしの最終目標ではなかった。薬を全てやめる選択はむしろなかったと思う。できたらいいな、とはもちろん思っていたが、再発してしまうのがとても怖かった。

しかし、そこは単純な話で、例えばマイスリーに関して言えば、寝る前に強い不安を感じることから様々な症状が起こり辛かったのだが、栄養が満たされるにつれ、そんなに不安ではなくなってしまった。そもそも日常的に強い不安を感じることがあまりなくなってしまった。

怒りも一瞬カッと湧き起こることがあるが、すぐに消える。誰かに八つ当たりすることも少ないし、あったとしても気づいて相手に謝ることができる。ネチネチネチネチと人を恨んで時間を潰していた以前の精神状態に比べたら、とても健全な怒りだ。自己否定することも少なくなり、失敗したときも他人の慰めに頼らず、自分を労ることができるようになった。人目もあまり気にならなくなり、予期不安も減った。

あまりに何も考えずのんびり過ごしていたため、「もっと悩んだほうがいいのかな?」とふと考えてしまい、そんな自分が可笑しくて吹き出したこともある。
これでは精神科薬の出番がなくて当たり前だ。

藤川先生の記述を読むと、統合失調症に関しては薬をゼロにすると症状が再燃してしまう傾向にあるようだが、うつ、パニック障害、そしてわたしが診断されていた双極性障害II型と境界性パーソナリティ障害に関しては、藤川理論とセットで減薬を行うことにより、断薬がほぼ可能になると感じている(I型の双極性障害に関しては、あまり知識がないことと周りに罹患者がいないため明言を避ける)。断薬までの期間は個人差がかなりあり、長い間処方薬を必要としてきた人は、気長に、気楽に進めるのが良いと思う。

薬の記憶はどれも全て苦々しい。
最初に飲んだ睡眠薬のアモバンは、翌朝文字通り口の中が信じられないくらい苦くなる。水を飲んでも苦い。担当医にすぐ変えてもらい、ついこの間までのお付き合いのマイスリーになった。
今思うと、その時睡眠薬の処方は必要なかった。不安定ではあったけど、眠れていたから。

ヒルナミンは飲むとドロドロに眠だるくなるので大嫌いだった。でも当時お付き合いしていた人は、ヒルナミンを飲むと興奮したわたしが静かになるので、具合が悪くなってくると飲むよう指示してきてとても悲しかった。

ラミクタールは担当医の提案でデパケンの処方に追加されたが、飲んでしばらくして一時的に躁転した。激しい躁ではなく、作業所の仲の良いスタッフと話していて、普段ありえないくらい多弁になっている自分に気付いた。怖くなってそのスタッフに「わたし、おかしいよね?」と聞いた。彼女は「うん、おかしいね」と正直に答えてくれ、自覚できたことにほっとしつつも、躁状態の恐ろしさを垣間見てしまい、自分がコントロールできなくなるのだろうかとしばらくの間怯えていた。
藤川理論に取り組み結果を出してきた今でも、あの時の恐怖が頭をよぎり、不安になることがある。

コロナによる自粛期間中、過去をいろいろふり返って過ごした。楽しい記憶も、いわゆる黒歴史も、以前は思い出すと辛くなるので蓋をしていた。今は、刺激的な映画を見るくらいの感覚で少し客観的にふり返ることができる。体に栄養が満たされれば、辛かった過去も大事な思い出に変えることができると感じている。

「病気の自分」から「病気だった自分」へ脱皮するため、これからこのふり返りを記録していこうと思う。

Thank you for reading so far.
yama

※1「武田薬品 不眠症治療薬ロゼレムでMeijiとコ・プロ 10月1日から精神科施設を強化」
ミクスOnline  2014/09/08
https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=49483





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?