見出し画像

祝・藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(2)病人は職業?

藤川理論を実践し始めたのは、昨年の6月半ば。
実は、5月半ばから10日ほど、ハンガリーとチェコに一人旅に出かけていた。

前回書いたように、パートの仕事を始めたら、体調が悪かった頃は叶わぬ夢だったことが、どんどん実現できるようになっていった。

働き出して最初の1年で旅行代を貯め、次の年にロンドン、ローマ、パリの3都市を回る一人旅に出かけた。一人で外国に行くのは初めてで、わからないことばかりで大変だったけれど、素晴らしい経験だった。

そこから2年経った昨年、再び一人旅をすることになり、現地に住む日本人の旧友とも再会でき、またひとつ夢を実現できてとても嬉しかった。
しかし旅の途中でひどい風邪をひいてしまい、観光中もずっと身体が辛いし、帰国便では咳をし続け、周囲の人たちに迷惑をかけてしまった。
体調を崩すとベールがかかったように感性が鈍くなるので、感動も薄くなる。旅に出て環境が変わっても、元気に日々を楽しめる身体になりたい、と強く思った。

身体的なことだけではない。旅先では友人宅に一時お世話になったが、友人が子供をひどく叱るのを見ているうちに、トラウマ的な何かが発動してしまい、旅程はこなせたものの、帰国後しばらくうつ状態に陥ってしまった。
それでも週3のパートは休まず働けるまでに体調の底は上がってはいたけれど、余暇を楽しむような心の余裕はなくなってしまった。

それから、身体的にも精神的にも今よりさらに元気になるにはどうしたらいいか考え始め、ネットで情報をいろいろ集めているうちに、最終的に「これだ!」と確信したのが藤川理論だった。

わたしは、自分にとって病人であることは「職業」だと思っている。今のパートの仕事は「副業」で、本格的に体調を崩してその仕事を失っても、わたしには「本業」があるから大丈夫、とどこか無意識的に考えている。病気でいることは、わたしにとって大きなメリットがあるのだ。
元気になろうと今いろんな試みをしているのは、わたしにとっては「転職活動」だ。

精神科に通いはじめてしばらく経ち、流れに沿って障害者手帳を取得し、自立支援制度を利用し精神科に無料で長年通院。薬も無料。そして障害年金を何年も貰いつづけるうちに、病気であることを辞められなくなっている自分に気づいた。
「自分は予後不良の病気にかかってしまったのだから、働くのは難しいし、一時的に元気になって働けても、いつまた倒れるかわからない。わたしにはお金をもらい続ける権利がある。だから、このままの状態をできるだけ引き延ばすのが一番いいのだ…」
ここまで明確に考えていたわけではないけれど、「予後不良」というパワーワードの陰に隠れて何も行動しようとしないことで、わたしはたくさんの可能性を潰してきたのかもしれない、と今は思う。
また、過去に何かチャレンジしてもすぐに空回りして物事がうまくいかなかったのは、「現状を変えない方がメリットがある」という根底の考えに沿っていたからだろう。

「病人」から抜けられなくなるのは単純に仕組みの問題で、仕組みの内側に一度入ってしまうと、そこから出るのはとても難しい。生活保護も同じことが言える。世間的に悪いイメージがつきまとうが、仕組みに取り込まれれば、誰でも同じことが起き得ると思う。

便利な制度は賢く利用するべきだし、人により理想とする生活は違うので、わたしのように「転職」に躍起になることが正しいわけでもない。
絶対に働かなくてはいけないわけではないし、自立を最優先にする必要もないし、体調の安定のために支援を受け続ける選択をするのはアリだと今でも思う。

ただ、わたしは毎日、何かにつけ無理に自分を説得し、納得させ、たくさんのことを諦め続けていた。それは病人だから仕方がないと思っていた。

そんな中、夢を少しずつ叶えられるようになり、今の職業のままではこれ以上先に行くことはできないと感じたので、わたしはこの仕事を辞めようと決めた。

処方薬で劇的な改善がもたらされたことは一度もないが、とはいえ、それに代わるものも見つけられなかった。
藤川理論を知る前からiHerbは利用していたが、ホメオパシーや頭がハッキリする系のスマートドラッグ、また対処療法的にビタミンを摂るくらいのことしかできず、大した効果も得られなかったため、それに比べると今受けている医療は「エビデンス」があり、疑問はことあるごとに湧くものの、やはり信頼が置ける気がしていた。

しかし、3ヶ月くらいで藤川理論の効果が現れ始め、日に日に思考がはっきりしてくると、これまで医療に対し自分が疑問に思っていたことは正しかった、と確信するようになった。

仕事を始めた頃、月一の診察の際にどんどん元気になっていくわたしを見て、主治医は「本当に良くなりましたよね。普通は治りませんよ!」と褒めてくれた。その時は元気になった自分が誇らしく、褒められて嬉しい気がしたが、「普通は治りませんよ」という言い回しにずっと引っかかっていた。

本当に治らないのだろうか?
それなら、先生の仕事は一体なんのためにあるのだろうか…?

再発するかもしれないという不安は、藤川理論を1年続けた現時点では、まだ完全には消えていない。体の不調が全てなくなったわけではないし、自分がちゃんと一生続けていけるのかどうかで不安になることもある。

昨日も今日も、仕事を1日きちんとこなして帰ってきた。大丈夫、ちゃんとできている。マイペースを保って、自分の生活ができている。まだまだ足りてないけれど、栄養を摂り続けているから、大丈夫。これからもっと元気になる。

ハッキリと言葉にはしないけれど、常に自分にそう言い聞かせ、安心できるまで実績をコツコツと積み重ねていくしかないと思っている。不安感もただの習慣にすぎない。

誰かに慰めてほしいと思うことがないわけではないけれど、自己否定の時期が長かったわたしは、他人の意見でとても心が揺れやすい。他人の不安を目にしたり耳にするのも苦手だ。そして、慰めを求めたとしても、他人は自分の思った通りの慰めや励ましを与えてくれるわけではない。

栄養を摂り続けることは、とことん自分の心と身体と付き合うこと。医師から処方された薬を忘れずに飲むことがわたしの仕事だと思っていた時期もあるけれど、それは今はわたしの仕事ではない。
"Doctor yoursef"(※1)の"doctor"は、他のさまざまな存在に置き換えることができる。それも最良の存在に。

自分にとっての一番の味方は自分であることを常に忘れずに、明るく転職活動に励みたいと思う。

Thanks for reading so far.
yama

※1 "Doctor yourself"はアンドリュー・W・ソール博士の著書から。"Fire Your Doctor"もある。

画像1

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?