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「何かあったら言ってね」と言っては消えていく、紳士淑女の皆さまに置かれましては

小さい頃、私は母のことを、なんでもできる「スーパーマン」だと思っていた。

子供とは往々に両親のことを美化し、理想化しがちであるが、私のそれはちょっと度を越していたかもしれない。

なぜかというと、母はたいそう物知りな上、子供の「なんで?」を曖昧に誤魔化さず、きちんと向き合って答えてくれる人だったからかもしれない。空はなぜ青いの、本はどうやって本になるの、どうしてあひるのおもちゃは水に浮くの⋯⋯子供特有の終わりのない「なぜ」「どうして」に、母は嫌な顔せず付き合ってくれた。

そんな母は、割と一人でなんでもできる人である。

離婚するまで専業主婦であった母は、料理・洗濯・掃除は言うまでもなく、面白おかしい話を即興で作り出す能力に長け、漫画みたいな絵も本物そっくりな絵も上手だ。詩を嗜み、歴史の本に出てくるような小難しい出来事を、面白い話にして説明することができた。

しかし、何でもできるといっても限度はあるもので、生きている限り、自分では解決できないことに直面することもあるはずだ。それなのに私は、母が人に頼るところや助けを求めるところをほとんど見たことがなかった。

どうしてだろう、と不思議に思い、子供心に問いかけたことがある。「どうしてお母さんは人に助けてって言わないの?」と。
母は少し困ったように笑って、「自分で解決した方が早いもの」と答えた。実際、大抵の場合、私や父に手伝いを頼むよりも、母が自分で何とかした方が早かった。

私の中の「母=スーパーマン」という式は長いこと崩れなかった要因はおそらくここにあると思われるが、その確固たる事実であった「母=スーパーマン」が崩れたのは、恥ずかしながら成人してしばらく経ってからである。

詳細な経緯は省くが、いくら母でもどうにもならない事態が何度か発生し、偶然それに私が関わっていたりその場にいたことがある。残念ながらどれも私にどうにかできる出来事ではなく(あるいは私も助けが必要な状態だったため)、母は祖母(=母の母)や伯父(=母の兄)や、その他の親しみを持って接してきた人々に助けを求めた。

彼らは常日頃から、一人でなんでもやろうとする母を心配してよく、
「助けが必要な時は言わないと分からないぞ」とか、
「何かあったら言ってね」とか、
「手助けできることがあったら言ってね」とか、
そんな温かい言葉をかけてくれる人たちだった。

だから、助けてくれるものだとばかり思っていた。

でも違った。母のSOSに対して返ってきた答えは、「自分でなんとかしろ」だった。

「私も忙しいのよ」と電話越しに苛立つ祖母に、母は少しの間の後、「うん、ごめんね。自分でなんとかするよ」と言った。慣れたことのような流暢な口調。きっとこれが初めてではないと、直感で悟った。

母はなんでいつも、ひとりで全部やっちゃうんだろうと思っていた。
言ってくれれば私だって手伝ったのに、と不満に思ったこともそれなりにあった。

だけど、母がひとりで全部やろうとするのは、滅多に人に助けを求めないのは、その滅多にない助けを求めた時に、誰にも助けてもらえなかったからなんだと私はその時知った。

そりゃあ自分で何とかした方が早いって考えるよなぁ、そりゃあ助けなんて求められないよなぁ、と切実に思った。

今でも、伯父や祖母や、その他の人々は母に言う。
「あんたって子は、昔から人に頼ることを知らないんだから」とか、
「何かあったら言ってね」とか、
そんな親しみに満ちた言葉を。

傍から見ればなんと優しい家族だろう。
けれどそれらが本当は行動を伴わない、空っぽな言葉だともう知ってしまった私は、「うん。何かあったら言うね」と笑って答える母が、その笑顔の下で何度助けを求めて断られてきたのか考えてやるせなくなる。

「何かあったら言ってね」

私もよく人に言う言葉だ。
助ける気がないなら最初から言うべきじゃない言葉だ。

行動と言葉が伴わない人がいることなんて、当たり前だ。その場限りのノリや冗談が悪いばかりとは思わない。何も場を明るくするジョークを言うんじゃないと主張したい訳でもない。でも「何かあったら言ってね」だけは例外だ。その気がないなら言わないで欲しい。

特に、滅多に助けを求めない人のSOSを振り払って消え、ほとぼりが冷めた頃に戻って同じ言葉を口にする紳士淑女の皆さまに置かれましては、金輪際、そのような言葉は使わないで頂きたい所存である。

最後まで読んで頂きありがとうございます。 サポートは、大学のテキスト代や、母への恩返しのために大事に使わせて頂きます。