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読書感想文【黒髪と美女の日本史】

「あなたは何フェチですか??」と聞かれたら「髪!!!」と即答できるくらいには私は髪フェチ。
そんななか、陳列棚に目をやるとこんな本がある。

「黒髪と美女の日本史」

髪フェチの自分が、たくさん並べられた本棚の中からこれを見つけるなんて、もはや運命ではなかろうか。
しかも表紙がめっちゃ美しい。見た瞬間にビビッときた。完全にジャケ買いです。


髪のことを歌った俳句がたくさん残ってる。
万葉集にのっているあたり、少なくとも奈良時代には髪を愛でる文化があったんじゃないだろうか、と推測する。

昔から髪は愛でられていた。
しかしただの髪ではなく、縮れ毛ではなく真っ直ぐで、光沢があり艷やかな深い黒、そして垂らしていなければならない。
その反対、髪が黒くなく、短くて、縮れ毛のような髪は不美人の象徴ともされた。

また、髪の長さで身分の違いを表した。
例えば、あなたの髪が180cmとめちゃくちゃ長く、しかも垂らしっぱなしのまま家事をしようとするとどうだろうか。
間違いなく邪魔だ。鬱陶しいことこの上ない。
当時の身分の高い女性に仕えるものたちは、労働の邪魔にならないようにという同じ理由で髪を短くする、あるいは結わなければならなかった。
つまり、髪を長く伸ばして垂らしていられるのは労働する必要のない人たちー身分の高い女性たちという構図ができあがる。


少し時代が下るとカツラー当時は髢(カモジ)と読んだらしいーをつけるようになる。
主につけていたのは主人に使える女官たち。
普段は髪が短くてもなんら問題ない。むしろ短くないと仕事に支障がでる。
しかし、公の場にでるとなるとそうはいかない。
現代の我々でいう、冠婚葬祭における洋服のマナーが、女官たちにも求められる。
そんなとき、カツラは非常に便利なものだったようだ。


そのうち、髪を結った姿が美しいと言われるようになる。
動きやすく、便利なように結われた髪は、しだいに職場、結婚の有無、場所などで見分けられるほど多様化していく。

有名な例が吉原の遊女だろう。
彼女たちは格子の向こうで客を待つ。
そのために、少しでも美しく見せようと、派手な髪型ーそう、今でいう「盛り髪」を行っていた。
彼女たちの髪型を「小間物屋の店のよう」と揶揄されたのも、むべなるかな。

この頃になると、竹を炙って髪に巻きつけて縮れ毛を作るー現在のヘアアイロンと同じことーこれも流行ったようだ。
平安時代であれば不美人の象徴だった縮れ毛が流行ったのも、多様化が進み、人と変わった髪型がしたい気持ちの現れかもしれない。

多様化にともなって、だんだんと派手になっていく様は、現代のファッションにも通ずるのが面白い。
ダメージジーンズにしかり、サルエルパンツにしかり、ビッグシルエットにしかり…。
何事もやりすぎると数奇な目でみられるのは、いつの時代でも同じようだ。


自分の性癖の赴くままに手にとった本だが、日本の歴史、文化を「髪」を通して紐解いていく内容は、なかなか興味深かった。
私が黒髪が大好きなのは、はるか遠いご先祖さまから脈々と受け継がれた想いなのかもしれない…。

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