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社会的な怒りについて

 はてなブログの方で、ユーミンに死ねって言った白井聡について書いた。

 僕は学生時代に京都精華大学で安くガンダムのビデオを見せてもらったので、白井聡は悪いと思うが、京都精華大学全体が反日組織だと言われたり、学長が黒人だからダメだと言われることには怒りを感じて、お気持ち表明をした。そこそこバズった。



 京都精華大学についてのお気持ち表明の記事にブックマークコメントが付いたので書いた。

 以下のようなことを書いた。


 で、今回は白井氏という、僕があまり知らない人がユーミンに対して死んでほしかったとフェイスブックで書いたことが問題視されて、京都精華大学の石田涼理事長(サコ学長とは違う人)から厳重注意をされた。
 その処罰が軽いと怒る人が多い。我は我の健康と財産にしか興味がないので他人の処罰が軽いと文句をいう人は単にギロチンショーを見るのが好きなモッブに過ぎないのではないだろうか?などと思ってしまう。
 松任谷由実氏に対して、殺害示唆をしたわけではない。刑事罰としては名誉毀損罪か侮辱罪であろう。そして、それは親告罪である。なので、喧嘩の作法としても法律としても、白井氏について怒っていいのは松任谷由実氏だけである。怒るべき時に怒るのは大事だが、怒るべきでない時に怒る人はアリストテレス先生によると嫉視的、あるいは悪意的な人である。


 で、さっき鍼治療に行ってきたのだが、鍼の先生はこのnoteを開設することを薦めてくれた人だが。

 僕は「自分に被害がなければ他人同士の揉め事には怒らない」というスタンスであり、京都精華大学はそれほど悪い大学ではないという気持ちで書いたといったのだが。

 鍼の先生は「社会的な地位がある人間が死ねと言って処分が軽いのに対して、怒るのは当然」と言って怒っていた。それで、僕が「処分は大学の都合であるので僕が怒る筋合いではない」と応えたら、「いや、死ねって言ったやつに怒るのは当然でしょう」と、軽く口論になりかけた。これは虐殺文法に近いのかもしれないが、自分と同じ社会的な怒りを感じない人は、怒っている人から怒られる場合があるようだ。


 しかし、僕の知人は先日の台風10号が朝鮮半島を縦断するという予報が出た時に「チョン死亡のお知らせwww」とLINEをしてきた。僕は「他人の死を喜ぶ人間にはなりたくない」と返信して、そのあと返事が来ない。

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