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幾原邦彦 シェルブリット文庫版 もののけ姫から生存戦略へ


 幾原邦彦が小説を書き、ロボットや人物や宇宙船の外観や内装のデザインと挿絵を担当した書籍である。だが、ファイブスター物語の設定説明書のような部分では、永野護らしい文体でメカの性能が説明されている。
 小説の本文でも永野護の書いたようなメカ描写がある。
というわけで、単なる文と挿絵の関係ではなく、二人の才能のコラボレーションだと感じた。

ところで、この二人は富野由悠季監督の影響下にある二人である。
 永野護は機動戦士ガンダムのファンでアニメ新世紀宣言のイベントなどをしていたが、重戦機エルガイムでデザイナーとして抜擢され、Zガンダムでも活躍した。1998年にはブレンパワードのデザインにも参加。
 幾原邦彦監督も、庵野秀明監督などが寄稿した伝説の同人誌「逆襲のシャア友の会」に参加している。
 そして、このシェルブリットは2000年に発表された小説である。
時期的には、シェルブリットは富野監督のブレンパワードと∀ガンダムの後ということである。

 今から25年前の1995年、風の谷のナウシカが終わり、新世紀エヴァンゲリオンが出た。
1997年、THE END OF EVANGELIONのキャッチコピー「だからみんな、死んでしまえばいいのに・・・」
もののけ姫「生きろ。」
1998年、ブレンパワード「頼まれなくたって、生きてやる!」
2000年、シェルブリット 2012年、輪るピングドラム 「生存戦略」
という一連のクリエイター達の相互影響がある。
「生存戦略」と言えば、輪るピングドラムの「生存戦略しましょうか」が最近の流行語であるが、12年前の(!)シェルブリットの第14章のタイトルも「生存戦略(Strategy For Survival)」である。


 輪るピングドラムでの生存戦略は、海岸でのペンギンの押し合いへしあいになぞらえられていたが、若干わかりにくかった。というか、キメ台詞としては印象的だったが、「生存戦略」そのものは、あまり作品のテーマでは無かった。ピングドラムのテーマはむしろ「愛」とかそっちの方向だった。

 シェルブリットは文字媒体の小説であるので、生存戦略について幾つか説明があった。
 というか、シェルブリットのテーマが生存戦略だった。


遥かな未来、人類は3つの「種」に分化していた。巨大な宇宙船の姿になった「ジーンライナー」、遺伝子改良による進化を受けた「ジーンメジャー」、そして進化を遂げなかった「ジーンマイナー」。
ジーンマイナーでありながら遺伝子特異体のためジーンメジャーに類似した遺伝子構造を持つオルス・ブレイクは、ジーンメジャーとして世界最速のジーンライナーである「ローヌ・バルト」に搭乗する。




 というあらすじであり、人類種が分化しつつ、生存領域を恒星間超光速飛行と植民により広げ、生存戦略をしているという世界観であった。
 ジーンライナーは異星人との接触により、遺伝子的改造を受けて巨大な生きている超高速宇宙船になった。ジーンメジャーはジーンライナーからの技術提供により、自ら遺伝子をデザインして優れた子孫を残そうとして生存戦略している。ジーンメジャーの身体能力は高く、知的で、認識能力は機動戦士ガンダムシリーズのニュータイプほどだ。相手の感情を匂いとして感じることができる。
 ジーンマイナーは貴族的階級のジーンメジャーとは自然交配すらできないほどかけ離れ、遺伝子操作技術の恩恵にあずかれないが、全人口の大半を占める一般大衆である。数が多いので、ジーンマイナーもジーンメジャーと共存して社会を構築している。ジーンメジャーの部下として働くことが多いが、マイナーもマイナーなりに生きのびている。


 このような超未来社会が丁寧に描写、というか精緻に設定されていて、なかなか面白かった。
遺伝的特権階級や、美少女の心を持った機械などはファイブスター物語の要素もアリ。

 作中の時代で、ジーンメジャーは更なる進化を望んでいる。ジーンライナーも更なる進化を遂げるために、「あるもの」を手に入れようと、超光速レースを繰り広げている。

これも、生存戦略だ。
 また、作中で主人公がライフゲームライフゲーム (Conway's Game of Life)を通じて生命の誕生、進化、淘汰をシミュレーションしたり、ネットゲームのシムシティ をする描写がある。これも、生存戦略で多くの物が争い、死を積み重ねながら、総体として生き延びる手段を模索する姿だ。()
植民惑星自治政府と世界政府との果てしなき内戦の描写もある。これも、生き延びる物を探すこと。
 第2巻ではジーンライナーが使い、主人公のオルス・ブレイクがパイロットとして乗り込む超光速戦闘機「シェル」の無人機「シェル・スレーブ」が登場し、無人機たちが有人機に撃破されながら、戦闘データを蓄積して強化される描写もある。これも、無生物であっても情報を蓄積して生存パターンを戦略的に模索する生存戦略である。
 そして、主人公、オルス・ブレイクはジーンマイナーでありながらジーンメジャー級の能力を持ち、シェルに乗り込んで敵のシェルと戦い、打ち負かし、また上司や世間とも戦い、勝利者になろうと何度も何度もあがく。非差別階級の階級闘争であり、少年から大人になろうとする19歳の社会との決闘でもある。


 このように、様々な角度、様々な情景、様々なスケールで「生存戦略」「生存競争」が描かれている小説だ。
 一見して、スペースオペラ、SF、あるいはジュブナイルライトノベルとして見える物だが、「生存戦略」、「生と死」「殺戮と生存を繰り返して存続する命」をテーマにした小説だと理解した。

 このような「生」の問題を扱っているのは、幾原邦彦監督と永野護氏の本作もエヴァンゲリオン〜もののけ姫〜ブレンパワードの「生きる、とは」という問題提起の潮流の中に位置づけられるのではないか?という仮定可能性を感じる。
 EOEの「だからみんな、死んでしまえばいいのに・・・」→もののけ姫「生きろ。」→ブレンパワード「頼まれなくたって、生きてやる!」→スプリガン「戦って、死ね」
 を通して、「生きるべきか死ぬべきか」という命題がアニメ界に流行した。

その後の2000年、シェルブリット 2012年、輪るピングドラムの「生存戦略」「生存戦略しましょうか」は、より具体的に「どのように生きるか」「誰を生かすか」「何のために生きるのか」と言う事を模索する人生に注目したようだ。
 2000年代はサヴァイバルものが流行したので、こういう90年代の「生きるべきか死ぬべきか」へのカウンターとしての延長線だろうな。
 ただ、シェルブリットや輪るピングドラムはサヴァイブものやバトルロワイヤル系の多くとは違って「自分の生にも絶対的に執着しない」「自分の命も、他者から見たら相対的なものだと自覚している」「だが、動物的に自分の命を大事にする自我も自覚する」「それゆえの葛藤」と言うのも描かれているのだ・・・・。

 あと、暴力や殺害や怨恨という負の側面も「生存戦略の一環」として肯定してる雰囲気で、善悪とか倫理観が希薄な感じが、幾原監督や永野護のロック精神を感じた。


 というかですね、シェルブリットの設定がすっごくブレンパワードのコピーっぽいんですよ!
 少女性を内包した生きている宇宙船って、ブレンパワードのオルファンさんじゃん!(ジーンライナーは数百メートル、オルファンは150キロなので、数百倍の大きさの違いがあるが。)
 シェルのデザインも同時期の永野メカのブレンパワードにそっくりだし!あと、シェルは肩とくるぶしに強力なロケットモーターを持つけど、それは∀ガンダムの足のスラスター・ベーンと同じような発想じゃないか!
 というわけで、シェルブリットは「実際にオルファン型生体宇宙船で銀河旅行をする事が日常的になった未来を舞台にした物語」と見える。つまり、シェルブリットはブレンパワードの延長線上にある物語ではないか?と。
 幾原邦彦と庵野秀明と富野由悠季と宮崎駿は、風の谷のナウシカ、機動戦士ガンダム逆襲のシャア、機動戦士Vガンダム、セーラームーン、エヴァンゲリオン、もののけ姫、少女革命ウテナ、ブレンパワード、等で相互に影響を与えあっていたからなー。
 まあ、ナウシカ、エヴァ、もののけ姫、ウテナ、ガンダム、ブレンパワード、シェルブリットは物語内の時代や舞台設定やジャンルも割とばらばらなんだが。「生死観」とか「社会の中で生きる事とは」という命題を描いていたと思うのだ。

 「世の中で自らがどのような役割を果たしているかを知るのは辛いことだ」(ポール・ニザン「アデン アラビア」)

そういうわけで、富野ファンの僕も面白く読めた。


 ちなみに、ライフゲームやセル・オートマトンは90年代後半に流行し、私も中学生時代にコンピュータープログラムでいじった経験がある。ので、多少時代を感じる。
 また、1巻のサブタイトルADEN ARABIEアデン・アラビアはポール・ニザンの名作からの引用。2巻のサブタイトルのABRAXASアブラクサスは少女革命ウテナにも登場したヘッセのデミアンからの引用。どちらも「違う場所を目指す」という生存戦略の一環の冒険を描いた小説である。(読んだことないけど、多分)
(”アデン”は「グレッグ・イーガンの小説『順列都市』において、セル・オートマトンの「エデンの園配置」の概念が重要な役割を果たす」と言うのとは、関係有るのかな?)

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