見出し画像

RSCジャパンスクールを振り返る

前回は当時、原宿にあったRSC(ROCK STEADY CREW)ジャパンのスクールに通い始めた所までを書きましたが、今回はその当時のスクールの模様などをざっくりと振り返れたらなと思ったりです。

まず、記憶が確かならば、初級として月・水が「GORIさん」、「ミツギさん」が講師を担当。
でもって、中級として火・木が「KATSUさん」、「百太郎さん」。
で、上級向け金に「CHINOさん」、「MITSUさん」といった担当振り分けで開催していた記憶が。(おそらく間違いないはずですw)

でもって、自分は通いはじめは水曜クラスに行き、アップ、ダウンのリズムからアイソレーションといった、本当に初心者向けの基礎中の基礎から始まるレッスンに、ここからどんな内容になるんだろうと内心思いつつ、まずは黙々とこなしておりました(笑)。
そこから中盤、フットワークの基礎として「六歩」を習う事になり、これが自分にとっても実に新鮮!
ワンポイント、ワンポイントとフットワークをカチ、カチと細かく踏んで確認してと教わるのが初だったので、非常にありがたいレッスンでした☆

数か月受けるなか、初級での基礎的な内容も個人的に大分満足してきたので、中級へとシフト。
ここでは、KATSUさん、百太郎さんによるフットワークスタイルを軸にした振付けをメインに踊る内容で、この振付が当時毎月「R?hall(アールホール)」で開催されていた、「B-BOY NIGHT」でのショウケースの振りがベースだったりと後々気づき、ここでのレッスン生活で今現在の自分のスタイルの軸が構成されていったといっても過言ではないです。
うーん、振り返ると本当に懐かしい♪♪

でもって、金曜の上級クラスへは、、、実は行かずで(笑)、その理由がある中級クラスのときに、臨時でCHINOさんが担当で「トップロック」を遅めのBPMで踊るときのコツを教えてくれたときがあり、それがまぁ~実に難解で、上級はこんなことやるのか?と面喰ってしまい、中級に留まっておりました(笑)。

と、こんな感じで原宿RSCジャパンでのスクール通いを重ねるなか、後にそこで顔を何度か合わせるメンバーで「ダンボール」を結成となる訳ですね。
この辺はまた後日。

さて、こうして当時を振り返るなかで要所要所「なるほどなぁ」とヒップホップ史の流れを感じる記憶のヒトコマなどもあり、原宿RSCに通う前の「マッチャンさん」スクールでは、いわゆるガッツリなオールドスクールスタイルな曲で踊るブレイキンスタイルでしたが、原宿RSCではトップロック(立ち踊りとして)に当時のヒップホップ・ステップも取り入れた内容もあり、そのときにCHINOさんが「いまのスタイルはTRUE SKOOLスタイルだから現行のヒップホップで踊ることも大事」と言ってた記憶があり、ブレイキンを単なるオールドスクールのジャンルとしてではなく、ヒップホップ・カルチャーとして捉えてた所も、今現在のヒップホップ・エレメントの定義が云々となる礎作りの時代だったんだろうなと思った次第です。

さておき、そんなこともあり個人的にも、「ブレイキンでも現行ヒップホップとか聴いて踊ってしていいんだぁ!」なんてスッキリ感があり(笑)、DMRやマンハッタンを中心に買うレコードはほぼ当時の新譜でしたねぇ。

で、当時の新譜となると、やっぱこれはマストで聴いてましたね(笑)

はい、懐かしの「Craig Mack」!!
で、クレイグマックで思い出したのが、当時のRSCスクールでは専属DJでもあった「DJ BEATさん」のミックスなどもレッスン中の音楽として使われていて、クレイグマックの「GET DOWN」リミックスが入ったミックスとかも流れてたなぁと思いだしたりです。

はい、またまた長めの文章になってしまいましたが、引き続きあれこれ思い出しつつ書き綴ってみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?