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「仕事を趣味に」できなかった私。

趣味を仕事に。
仕事を趣味に。

できたらよかった。

私のできること、すきなこと、趣味と呼べるもの。
羅列すれば沢山出てくる。

・歌を歌うこと
・ハンドメイド(アクセサリー)
・水族館、喫茶店の写真をとること(カメラ)
・小説を書くこと etc...

一つ一つは、その界隈の小さな世界の中でランキングにされてしまえば、ある程度はこなすことができた。
今時appストアだとか、googleプレイだとかにそれぞれのアプリは沢山あるから、本人のやる気次第で簡単に始められるから。

小さな街のコンクールで小さな賞をいただいたり。
ランキングの上位に名前が上がったり。
周りに「すごいね」と褒めてもらえたり。

自尊心をみたす道具のように使っていた物たちを、趣味と読んでいたものたちを、私は”夢”と呼びたかった。

これはあくまで私が努力すれば変わった未来だったのかもしれない。
というか、変わっていた現在だったんだと思う。

私は、”趣味”と呼んでいたものを”夢”と呼べなかった。
”趣味”は、”趣味”のまま。
”仕事”は、全く別の物、だった。

手に職を付けたくて飛び込んだ世界は、”学び続ける”ことが絶対条件。
周りにいるのは、”その界隈を学ぶことが趣味”のような同業者。

その人たちは、”趣味”を仕事にした人たちなんだろうな、とふとした瞬間に感じる。

嬉々とした声で話す業務で使うナニカにかするような情報。
でもそれは、決して業務に絶対関係するものではなく、どちらかというとその世界の動向だとか今後役に立つかもしれない!の共有に近い。

最もそれを悪い、と非難しているわけではなくて、ただ興味を持って様々な情報を集めて、集めた情報をそれはそれは楽しそうに語ってくれるその人たちが輝いて見えて自分がちっぽけに見えてしまう、という話。

努力をしなければ上にはいけない。
その世界でご飯は食べていけない。
どこの世界もそれはきっと同じ条件なんだろうけれど、手に職をつける、ということは、上辺だけの軽い理解だけでは何もできない。役に立たない。

そう、私はこの世界では”役立たず”だ。

そしてこの世界で努力ができないのなら、他の世界でもきっと”役立たず”に値するのだと思う。

興味がないわけではないけれど、嬉々として調べて理解して誰かに共有できるものではないその仕事と位置付けているタスクを、毎日ただ淡々とこなしていく日々を私はこれからずっと続けていくのだろうか。

…こうやって、転職を視野に入れていくんだろうか。
今はまだ、あくまで選択肢の一つのように感じているソレもいつか最後の選択肢になってしまうのかな。

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