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この指輪はわたしの覚悟になる

ついこの間。
わたしは25歳になった。

そのお祝いとして、ペアリングを恋人から貰った、のだけど。
それを貰うにあたり、わたしはとある覚悟を心のなかで決めた。
今回のnoteはその"覚悟"のお話。

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以前からわたしのnoteでは恋人以外の"彼の人"なる人のお話を出している訳だけど、
そもそもどんな存在なのかというと
《長い間好きだった近所の男の子で
何かと心をざわつかせる奴》。

所謂、わたしの未練と称されているひと。

そもそもなんで彼の人にそこまで執着しているのかというと、ただただ長い間彼の人に恋心を抱いていたから、でしかない。
あとは多分、近しい存在で関わり方がバグを起こしていたのだと思う。

長い間っていうのは大体12-15年の間で、気付けばずっと隣りにいて終わらせるタイミングを何度も何度も通り過ぎて。
ふと立ち止まった時に縋ってしまいたくなるようなそんな面倒な情になっていた。

何度も何度も終わりを探して、その度に区切りをつけた振りをして。
そうしてまた振り返ったらめそめそと思い出して涙を零して。
ずっと"すき"を持っている訳ではなく、心が弱った時の拠り所のように、懺悔のように、彼の人を"すき"なわたしが顔を出しては後悔をする。

彼の人は、わたしの本当に大切な人だった。
それははっきりと言えるし、全ての記憶を無にするつもりは一切無い。
いつもその記憶に蓋をしようとするから、その宝箱は勝手に開こうとするしこじ開けたくなったりするんだ、と思う。わからないけれど。

これはきっと後悔で、トラウマで、わたしのエゴが生んだ幻影だってことをずっと分かっていた。
近すぎた彼の人がわたしに優しくする度に心を揺らしたあの頃のわたしが間違っていないと正す為に。

と、長いことつらつらと書き連ねたのだけれど。
元々は彼の人にきっといつまでも囚われていくんだろうなあとずっと思っていたし、それに対して延々と悶々としていくことになるのだろうと思っていた。
それこそ、今の恋人と付き合っている間も彼の人への感情の落とし所を持て余してしまうくらいには。

もう終わらせられない情なんだろうなあ、恋とも呼べないこの情に名前をつけるなら「執着」で「トラウマ」で「未練」なんだろうとずっと考えていた。

一年ほど前から私の心が揺れるたびにつらつらと紡いでいたnoteがあって、そこに彼の人の思い出やら出来事やらを連ねていたくらいには相も変わらず「情」を言葉にしていたのだけど。
公開ボタンが押せなくて、ただ文字数を増やしていくばかりのその記事がなんだか本当に惨めに思えて、視界の隅にチラつくとため息をついてしまうくらいには悩ましくなっていた。

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これは彼の人にも通ずるわたしの推しの話なのだけど。
わたしの推しはよく芸能界を引退したり、グループを脱退したりするのだけど(ここだけ見るとすごい不思議な人を推してるように見えるね??)、居なくなった後も見かけなくなってもふと関係する出来事に出くわすと色々と思い出す。

例えば、同じグループに所属している別のメンバーが売れるようになって壁面広告にでかでかと載っているところをみてしまって、彼も芸能界に残っていたらここに居たのかもなあだとか。
推しに関連する人をお見かけすると少しだけ懐かしくなって、ちょっと気分が下がってしまったり。
わたしはそういう人間だった。

彼の人への想いだってそこに関係しているんじゃ無いかな、と。
わたしの情だったり、想いだったりを向けている相手なのだから関係しているんじゃない?と。

突き詰めて考えたら少しずつ腑に落ちて気が楽になった。
なんというか彼の人に対する「情」の答えが見つかったような、そんな気がしたから。

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そんな答えを少しずつ頭の中で整理していたタイミングで、わたしの誕生日が来てペアリングをもらったわけなのだけど。
(このペアリングは婚約指輪でもなんでもない、ただのペアリング)

前からリングが欲しいと話していたわたしのために恋人が考え、ジュエリーショップに連れて行ってくれた。
ジュエリーショップの店員のお姉さんに
「何指のリングをお買い求められますか?」
とサイズを測ってもらった時に迷わず右手の薬指を差し出した。

不思議な話だ。
わたしはなんだかんだと言いながら彼の人を理由にして諦めたり、認めたがらなかったり、言葉にしなくてもそうやって壁を作っていた。

ある程度時が経った大学時代には、その壁が少しずつ薄くなって色々と自分の中に作っていた制約のようなものが徐々に緩和されて。
近しい人間を作るようにはなっていたけれど。
それでも。どこか彼の人に対し夢を見ていた。

と、いうのに。

恋人とは5年ほど一緒に過ごして、想いも情も計り知れないほど重ねて。
言い訳がましく彼の人のことを紡ぐくせに恋人を選び続けていた。なんとも情けない話。

それこそ、恋人に指輪が欲しいと言っていたのは学生時代の友人たちが続々と結婚をしていって、左手の薬指に光る指輪が羨ましかった、という気持ちもあって。
だからストレートに指輪がほしい、というより、私の方からプレゼントしようとしていた時期もあったくらい気軽な気持ちだった。

だからこそ、
「指輪、あげようと思って。」と色々調べて準備をしてくれていた恋人を愛おしく思ったわけだけれど。

それと同時に、もういい加減にしないといけないと思ったのも事実で。
そんなに重たい意味ではなく(結婚を意識して、と言う意味合いではなくて。)
わたしの中で彼の人を盾にすることや情を枷にして泣いてしまうような、そんな無意味なことは本当に、ほんとうにやめるべきだな、とハッキリと思った。

心の中の整理とそのタイミングが丁度すっきりとしていたこともあり、開いては閉じていた記事を読み返してこの記事を書く覚悟をきめた。
これはケジメ。
今までいろんな媒体で彼の人を綴ってきたわたしのケジメ。

ここ数年、「好きな人はいる?」という質問に対して直接聞かれれば、「恋人がいるよ」という返しを大体していた。
(勿論、この人に話すと根掘り葉掘り聞かれるし少し面倒に思う時は誤魔化すこともあるけれど。 )

その問の中に彼の人はいなかった。

それはそうと言われればそれだけなのだけど。
でもそれだって答えだった。
ソレは小さな小さな意味合いかもしれないけれど、私の中ではソレが全てだった。

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いつだって。
私は彼の人への感情を綺麗に終わらせようとしていたけれど無理に決まってたんだよなあと、今思えば当たり前なその事実にやっと気付いた。

今は不思議なくらい清々していて。
まともに隣に居なくなって10年の年月がたってやっと。
本当にやっと、彼の人の名前をふと思い出して泣いてしまうような日々が終わった。

このnoteを書いている間に気付けばひと月が経ってしまった訳だけれど、そういえば思い出していないなあと実感している。

懐かしい記憶としての愛しい記憶であることには何ら変わらないし、すきだった、情になった長い時間をわたしは今後も大切に想う。

あんなことがあったなあとか。こんな事もあったなだとか。
思い出そうとすれば沢山出てくるけれど。
その思い出にわたしはもう泣かなくていいんだなあ、と。

その事実が温かくて。
きっと何気なく思い出しても懐かしく思うだけなんだなあと少しだけ。ほんの少しだけ。寂しく思う。

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恋人がくれたその指輪がわたしの気持ちに区切りをつける勇気をくれた。
その指輪はわたしの覚悟の証。

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