娘の「かわいい」
娘、にぃちゃん、もうすぐ3歳。保育園で飾る七夕の短冊に、お願い事何にする?と尋ねたら
「おひめさまになりたい」
と言いました。
自分の幼少期と違いすぎて、なんか戸惑う。
ピンクとラベンダーカラーが大好きで、ハローキティとマイメロとクロミちゃんとディズニープリンセス(特にラプンツェル)を愛し、休日になると「ワンピースきる!」と大張り切り。
可愛い貰い物のお菓子の空き缶、通称にぃちゃのオシャレ箱には、100均で買ったヘアピンや、東京タワーで一目惚れした5色のクリスタルタワーのストラップ、セボンスターのネックレスなんかがどっさり。お洋服に合わせてコーディネートを楽しんでいる。
お雛様を出せば「ピンク(着物が)でかわいい〜!」と愛で、母のアクセサリーを「それかっこいいね」と褒めてくれ、おやつのお皿を出そうとすると「にぃちゃんおはなのおさらがいいの!」と、揃いの藍色の皿を避けてくる。
なんかもうすごく、全力でkawaiiを推しているのだ。
女の子=ピンクとか、可愛いものとか、決めつけるのはジェンダーの問題的にいかがなものかと思っていたけれど、いかんせん男の子のあとに生まれた女の子だったので、赤子のときの写真を見ると、ピンクや花柄やフリフリしたものばかり身に付けさせられている。母のテンションと、周囲から贈られたプレゼントやお下がりの影響である。
途中からは兄のいる妹らしく、トミカのカットソーや、カッコいいロゴ入りのトレーナー、トーマスのロンTなんかを身につけることもあったし、1歳頃はそれを嫌がることもなかった。
が、ふと気づけば、それらを自分から身につけることはほぼなくなった。
ちなみに、3歳のお誕生日プレゼントは何がいい?と尋ねると、夢かわいい緑と紫のサイケデリックな髪色をしたリカちゃん人形を希望された。
私が選んだら、間違いなくその髪色のリカちゃんは買っていない。
母である私は、可愛いものを身につけるとき、嬉しいよりも気恥ずかしい、落ち着かないという気持ちになってしまう子どもだった。
服を選んだり、買ったりすることは面倒くさいことで、何かイベントの時など、ちょっと「見栄えする服」を着た時に漂う「気合が入っている感じ」を人に悟られるのが本当に嫌だった。
今でこそ着飾ることは嫌いではないが、マニッシュなもの、どこかにカッコいい要素が入っているものが好きだし、よほどのことがないとスカートは履かない。
娘のために可愛いものを買い、それを娘とともに可愛いねぇと愛でる、今が一番人生で可愛いものに囲まれている気がする。
先日の七五三、暴れて嫌がるかもという予想を裏切り、娘はおとなしく美容師さんに髪を巻かれたり結われたりしていた。じっと鏡をみつめていたから、自分を可愛くしてくれているのだ、ということがわかっていたのかもしれない。
写真館では、脇目も振らずピンクのお花柄の着物に飛びついた(通常プラン内に収まらない、+3300円する着物だった)。
「白いドレスがいい」と、こちらも自ら選んだ洋装には、ウェディングドレスに添えるようなキラキラのティアラ。
「プリンセスみたい!」
と目を輝かせる娘を見ながら、自分が結婚式で「いやどこの姫だよ!」とティアラをつけることを却下したのを思い出した。
どこまでも正反対の娘である。
そんな娘、先日実家に遊びに行った時にあるものを発見し、大喜びで全て自宅へ持ち帰ってきた。
私が小学校時代、せっせと作っていたビーズ細工たちである。
手芸が好きで、ビーズやフェルトなどを溜め込んでは、本を見ながらいろいろなものを作っていた。可愛いと思いながら作っていたのだが、如何せん使い道がない。飾るほどでもないし、ましてや誰かにあげて喜ばれる腕前でもない。仕方なく、プラスチックのケースに入れて引き出しに押し込んでいたのだ。
数十年という月日が流れ、さすがにもう捨てようか、と引っ張り出してきたところで、娘が言った。
「ママ、それかわいいねぇ!」
ママが子どもの頃に作ったのだと説明すると「ママがつくったの? すごいねぇ」「これもかわいい。これも、これも」と一つひとつ検分をはじめ、結局全部持ち帰ることになった。
いやいや捨てたかったのだけど……とか断捨離……などと思いつつ、心の中で喜ぶ私がいる。過去の私の可愛いと、今の娘の可愛いがクロスする。
娘の笑顔に、子どもの頃の私が「ありがとう」とつぶやいた。
(余談、息子も「えー、ママ作ったの!!? すげー!」とびっくりしてくれて、よりいろんなものが昇華された気持ち…)
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