江戸時代の史家・頼山陽の漢詩「冑山歌」に、兵庫県西宮市の甲山が歌われている。「山翠は依然として」とあるが、専門家によれば甲山は室町時代ほぼ禿げ山であり植林が行われたのも明治以降である。つまり客観的には頼山陽は「盛った」ことになるが、そもそも詩はそういうもの。人間味を感じてしまう。

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