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ポール・サイモン「アイアム・ア・ロック」についての私見(その②)

引き続きポール・サイモン「アイアム・ア・ロック」について。前回は、a rock を「とある岩礁」だとする解釈を述べた。そして今回、もうひとつ。

キリスト教における聖ペトロ(聖ペテロとも)の「ペトロ」とは日本語で「岩」であり、聖ペトロの墓の上に建てられたサン・ピエトロ大聖堂こそがカトリックの聖地であることを思い出したのだ(「ペテロ」は英語の peter にあたる)。つまり英語圏において文化の中心層を成すキリスト教は「岩」の上から始まっているのである。これは堅牢な礎であり、サイモン氏のこの曲とも重なる部分がある。

これは今ではカトリックのことであり、サイモン氏の生まれ育ったアメリカ(プロテスタントの国である)とはすぐに結びつかないかもしれない。しかし現代においては、たいへん象徴的なことではないか。いささか紋切り型ではあるが、欧米人の自我は強固であり(そういうことになっている)、かつ孤立しているからである。そして西洋近代自我の先駆けとして現れたのがキリスト教だった。

サイモン氏のこの詩では「とある岩礁」がひとり淋しく強がっている、というのが筆者の解釈だった。その「とある岩礁(a rock) 」が近代人の自我の象徴だとしたら……? 「強い自我」を保つために、私達近代人は孤独に耐えねばならない宿命なのか??

個人的な妄想かもしれない。だが優れた詞、優れた楽曲には、実に多くのことを考えさせられる。

(追記)
詩というのは、各個人の自由な解釈が許されるものである。そこで、筆者の勝手な解釈を記しておこう。この歌詞における一人称は、イエス・キリストのイメージかもしれない。十二月に生まれて(そういうことになっている)、周囲と隔絶して孤立した存在であるから。このぐらいにしておく。あくまで、筆者の個人的な解釈に過ぎない。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。