すれ違った女たち



「女ってホントめんどくせえ、ブロック!」


彼女はそんな最後のつぶやきで、わたしとの26年間を終わりにした。ブロックされた。


彼女との出会いは、幼稚園年少。記憶はほぼないけれど、アルバムの中のだいたいの写真に一緒に並んで写っている。小学校にあがってすぐに彼女は引っ越してしまい、そこで一旦途切れる。

けれど、中学に入ってすぐのころ、たまたま地元近くの花火大会でばったりと親同士が再会した。親同士がそれなりに仲よかったみたい。

そこからは、学校は違ったけれど、よく遊んだ。高校も違ったけれど、彼女がバイトしていたファミレスを紹介してもらって3年間一緒に働いた。

高校を卒業して、わたしはまだ県内にいて彼女は東京にいたけれど、連絡はとっていた。すぐにわたしも上京して、またしょっちゅう会っていた。わたしが働いていたキャバクラで一緒に働いた時期もあった。

わたしがひどい男と別れたときには彼女の家に1週間ほど居候させてもらった。


これだけの長さの関係をブロックするという安易な手段で切り捨てられる、彼女にとってそれくらいの関係だったことがショックだった。

でも、薄々はわかっていた。彼女とは仲良くしていたけれど、あれ?と思う部分も多かった。表面を取り繕っている癖もわかっていたし、それでもわたしには本当のところを出していてくれると思っていた。実際そうだった。

ただある時から、本音で話せなくなっていたのは、どちらかが変わってしまったからだろうと思う。それはたぶん、わたしのほうだ。

わたしってやつは、人の感情の機微に違和感を感じてこう思っているんだろうなあ、なんて思ってしまうことが多い。それは、考えすぎってときももちろんある。だけど、大概はそう感じてしまうということは、相手に対してなにかがわたしの中で変わってしまったとき。

だからわたしは、わたしの誕生日数日後に彼女が送ってきた連絡を返せなかった。返せなかったのに送ってくれた、年明けのあけおめLINEも返せなかった。

そうしてわたしはブロックされた。

返せなかったのは、彼女との違和感を感じているのにそれをどう伝えたらいいのかずっとわからなかったから。

無理して誕生日だけ連絡してこなくてもいいし、無理しているのは伝わる。きっと誰にでもこうなんだろうと思った。彼女はわたしのことなにもわかってないんだろうな。でも、べつに付き合っているとかじゃないのに、そんなことでわざわざ波風たてるのもなあ、なんてずっと悩んだ。



この一連で、わたしは自分が受け入れた人間に対して男女問わずにとても入れ込むタイプなんだと再確認した。要は「重い女」なんだ。

自覚はあったから、なるべく軽く生きようとしている。恋愛関係ならまだ上手にバランスがとれるけれど「友達」という関係でバランスをとることが難しい。

でも、ちゃんと取れている相手もいる。そこにあるのは、相手への信頼。

わたしはけっこうちゃんとしているように見えるけれど、実際はとってもだめなところがいっぱいあるし、神経質なのに気分屋でとってもめんどくさい。

それをわかっていて、受け入れてくれる。変わっていても、あなたはあなたなんだよ、って一緒に時間を過ごしてくれる人なんだ、ってわたしが相手を信頼できているかどうか。

それが彼女に対してはできなかった。そうしようという、努力もできなかった。なぜだか、できなかった。

それこそが相性なんだろう、と感じた。仕方ない、と思うほかなかった。

人間関係はタイミングだな、とずっと思っていて、いつか離れるのは当たりまえのことだと思う。だからこそ、自分が大事にしたかった関係のタイミングが合わないのはとても悲しい。自分の未熟さも感じる。

なんにせよ、彼女とはもうすれちがってしまった。

こう思っていたことを、伝えられなかった、伝えられない関係だった。それが一番悲しい。26年も知っているのに、彼女のことをなにも知らない。



それこそ相性やタイミングだから、人間関係をうまくする必要はないと思うけれど、ひとはひとりでは生きていけない。他人と関わることによって、自分の存在を認識できる。

だからこそ、自分を理解して受け入れて、その上で他人に理解してもらって、他人を理解して受け入れることができると思う。

わたしに足りないのは自分を理解するところだから、もっとたくさんのことを学んで、まとめて、発信してみることなんだろうと最近はより思う。

でも、完全に自分を理解している人間なんているのかな。自分が知らない自分だって、きっといるよね。そのほうが楽しいし。


おわり




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