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なぜスケベな気持ちを隠す必要があるのか


買ってからずっと、パジャマみたいだなと思ってお出かけには履いていかなかったブラウンのセンタープレスされたワイドパンツに、シースルーの黒いノースリーブトップスを合わせたときに「あ、こうしたらよかったのか」とストンと納得した。


足りなかったのはセクシーだった。


ここ1年、2年ってのは本当に出かけないようにしなければならない状況だし、流行りはどんどんカジュアルになっていった。「自分らしく」「楽に」そんなことが世の中のテーマになっていったように思う。またSDGsに寄ってどんどんと、ジェンダーフリーに。

わたしはそんな状況に頭を悩ませ、マスクで口はふさがれ、息苦しい小さい段ボールに押し込められた気分になった。

「女」を出すことは間違っているんだろうか。

窮屈なコンサバ服を着て、男性に性的な目で見られる。それを快感と思ってしまうわたしは普通ではないんだろうか。まあ、面倒なこともいっぱいあるからね、露出は控えて、おとなしくしなきゃね、派手にしてたら付け入れられるかも。

そんな風にいろいろと自分を納得させることが「大人になること」と思って押し込めている。そんなのクソだってわかってるんだけど。

でもさ、難しいこと考えないで、わたしが好きなのは派手でちょっとセクシーなわたしなんだよね。ちょっとネジ外れてるかもしれないし、気分屋で怒りっぽいけど。

スケベだっていいじゃん、パンツ今日履いたっけとかさ、あの子の乳首は何色なんだろうとかさ考えていたって。だって、スケベなのは事実だもん。

エロい自分がすきなんだもん。

ということを思い出して、エロい美容師が居る美容室に向かった先週。

また髪を伸ばそうと決めた。その方が、ちょっとダサくてもセクシーだから。

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