酒と男と涙はないわたし
「酒強そう」
よく言われる。
強くないよ、顔に出ないだけ。
わたしはお酒に酔うことが好きだ。細かいことを気にしなくなれるから。どうでも良いことをほおっておけるから。
かと言って、何も覚えていないわけじゃない。なにも感じないわけじゃない。飲んでるときのわたしも、わたしだ。そんなの当然のことなのに、彼らはそのわたしだけを求めているような気がする。
気がするだけ、なんだよ。わたしがそう思っているだけ。彼ら、って誰?わたしが勝手に作ったつまらない世界の人たち。
すべては自分が思ったようになり、思ったような世界しか広がらない。
生きることは、大変だけれど退屈。予想していないこと、なんか起きない。
その事実が残酷にあるだけで、じゃあわたしはそれに絶望して死にたくなるか?って言うと、そりゃいつだって楽しい気分で死ねるなら死にたいけれど、死ぬのはそうそう簡単じゃない。
そういう話をしたら君たちは
「考えすぎだよ」
って言うけれど、わたしは頭が悪いし、考えなければ動物と変わらないと思うから、考えたいと思う。それをやめてみて、じゃあなにがあるのかって、なにかあるのかもしれないんだけど、さ。
君たちはわたしが毎日、死ぬ日を楽しみに生きているよ、なんて言ったら悲しい顔するんでしょう。わたしは、わたしが大事にしたい君たちの悲しい顔を見たくないんだよ。
それにやっぱり、死ぬのはもったいないなんてケチな考えも浮かんでしまうんだ。大人になったから。大人って狡猾なんだ。
生きるのは大変だし、めんどくさい。
なんで家族を大事にしなくちゃいけないんだ、ひどいのに。でも、家族は無条件で愛してくれて大事にしてくれる。愛がなにか定義できないのに、それはわかる。
なんで仕事をしなくちゃいけないんだ、大変なのに。でも、働くことでたくさんのことを学べる。失敗しても、受け入れてもらえる。わたしはなにも、できないのに。
そうやって考えることを覚えて、学び、組織に属することが「生きること」であると思う。
人間は理性や感情がある。だから、面倒だししんどい。だけどそれが生きることだと思える。そうやって頑張って生きている。
そんなのわざわざ考えるまでもなく暮らして行けるのが普通だと思えるならとても幸せなことだけれど、わたしはここまでに30年かかっている。
やっと、最近そう思ったし、これがわかったところで、なにか成し遂げられるわけでもなく、生きるのが楽になんてならない。生きるのはしんどいことだ、って再確認しただけ。
でも、これからもつまらないことで悩んで考えて酒に溺れて、見えないところでぴえんぴえん泣いたりしてみたり、そうやって生きていくんだろうなと思う。
わたしは人間が嫌いだけれども、そういう人間らしさが愛しくてたまらなく、そうした矛盾しか愛せないんだろうな、と思う。
いつだって天の邪鬼だし、すべてを一生懸命愛したり憎んだり、傷ついたりすることでしか、きっと生きていけないんだと思う。なんとなく。
だから、なんとなく、難しい話はしないで、とりあえず酔っ払ってふわっとそこにいるくらいのそれがとてもちょうど良いのかな、なんて思ったりする。
おわり
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