わたしのことを知ってる人が誰もいないという事
最近わたしは、電車の移動中に少しだけ時間があくとホームのベンチで休憩する。
たくさんの人がわたしには目もくれずすたすたと通り過ぎていく。
こんなにたくさん人がいるのに、ここに、わたしがどんな人か、名前は何か、どんな生活をしているか、何をしてきたか、知ってる人はひとりも居ないのだなあ。とふと思う。
少し前までのわたしは、それがとてつもなく恐怖で孤独だった。パニックを起こしそうなほど。
だけど最近のわたしは、それがとても自由で心地よく感じるようになった。
最近は、人からどう見られるか、を気にして生きるのをすこしずつやめている。
どう見られているかを気にしすぎて自分の意見や気持ちを押し込めて生きてきた事に気付いたから、それをやめてみる事にしている。
すっぴんでジムに行くのだってOKだし、ノーブラでもOK(服は着るよ)。嫌われそうなきもいことを言ってしまってもまあ、OK。気にしない。
それらのいろんなことを思い切ってOKにしてきていると、これがまたとても楽で、わたしはいつの間にかとてつもなく大量の自分ルールをこしらえてしまっていたんだな。とふと思った。
キャバ嬢時代のわたしはいつだって、「キャバ嬢らしく」いなければならないと思っていた。
OL時代は「OLらしく」
旦那の知り合いに会えば「妻らしく」
「友達らしく」「彼女らしく」「セフレらしく」
「お姉ちゃんらしく」「女らしく」「子供らしく」
すべて自分が作り上げた「らしさ」の偏見と理想だと思うし、そうしていればまともだと思われるし、傷つくことも傷つけることもないと思っていた。
でもそこには自分の気持ちがない。
これでここまでうまいこと生きてきちゃったから気づくのにだいぶ時間がかかってしまったのだけれど。
もっと自分の「気持ち」を優先してあげなくちゃ、なにを努力したって自分の理想と現実は埋まらないし、いつまでたっても自分を受け入れられなくて苦しむだけだよな、と筋トレをしながら思った最近のまじめなわたし。
ちなみにもちろん、筋トレ中はなぜわたしはこんなに乳首が好きなのか、などもちゃんと考えていますので悪しからず。
おわり
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