喜びのズレ

先日、七夕もあったからか、多くの人の夢というのを見ながら感じたことを書きたいと思います。
僕は前に「夢はなくてもいい」ということを書きました。今でもそう思っていますし、夢を見つけるくらいなら誰かの応援をしている方が見えてくるものがあると思います。応援でわかりやすいのが選挙です。先日行われた都知事選でも予想通りというか、大方の予想通りの結果になったと感じています。僕は今回の選挙は個人的には盛り上がりませんでした…

さて、その夢を短冊に書いたりしていて、それを見ると大きく分けて二つに別れるなと感じました。それは自分のことなのか他人のことなのか。例えば「(私が)○○と結婚できて幸せな家庭を築きます」というのと「みんなが幸せになりますように」というのと自分目線(前者)か相手目線(後者)かで書いていました。そこで僕が思うのは「相手目線」を考える人は人生行き詰まるなということ。自分の人生を相手目線で考えていたら自由にも楽しくも生きていくのは難しいと思うのです。

どういうことかというと、例えば、営業で自分の商品を売っていても中々売れない。それで悩んでいる時にある人にこう問われます。「あなたは何のために営業をしているのですか?」と。ここであなたはどう答えますか?

「その人を喜ばせたいから」
「その人の笑顔が見たいから」
「人の役に立ちたいから」

という理由だったら残念ながら営業としての結果はついてきません。
「この商品は僕が好きで誰に何を言われてもいい」と言われるくらい商品に自信を持っているかが大切です。これは自身のサービスにも言えます。

そして、上記の3つのような理由だとどうして結果がついてこないか。これは「喜びのズレ」というものです。「自分が喜ぶから行動している」のではなく「相手に喜んでもらうために行動している」なのです。つまり、「相手に喜んでもらえなければ自分の商品の価値はない」と思っているのと同じなのです。

相手が喜ばなければあなたはその商品を提供しないのですか?
相手の笑顔が見られなかったらその商品の価値はないのですか?
人の役に立たなかったら自分の役にも立たないのですか?

自分が喜ぶことをやって、相手のことは考えない。極論を言うと「みんなが幸せに生きる世界」を述べるような人には、そんな世界は作れないと思います。これは「幸せ」の価値基準は人それぞれだし、自分が作れるものではないからです。
自分自身が幸せに生きること、それが結果的に周りに派生することもあればしないこともあるのです。

夢や喜びを考えるとき、まずは自分基準で考える癖をつけた方がいいと思います。

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