見出し画像

怒りは100%、何かに対する恐れ

先日地下鉄駅のホームで、周囲に向けて怒鳴っている杖を付いた初老のご婦人がいました。

同じ行き先のようで私がホームドアの前に立っているとき、そのご婦人が10メートルくらい左側に歩いて来られました。
「優先席に座ります!私から離れて!」
と、杖を振りながら誰彼へともなく大きな声で仰いました。

そうか、離れてほしいのだな、と思い私は更に右寄りに10メートルくらい離れました。これで車両も自分ひとりの分は空けてあげられる。

電車が来て、ふと左側を見るとそこには誰もいません。あれ?どこかに移動されたのかな。電車に乗り込み、突き当たりのドアのところで向きを返し立っていると、またあの大きな声が聞こえました。なんとそのご婦人が同じドアに乗り込んで来られたのです。

こちらを一度睨み、奥の方へ向きを変え「優先席、空けてください!」「優先席、空けてください!」と大きな声で優先席の方へ。左脚を少し引き摺り、杖を力強く床に打ちつけながら歩く速度は意外と速い。

優先席には女性と、お母さんと子供2人が座っていました。「優先席空けてください!」その方々の前でまたご婦人が仰り、女性が席を開けたところで座りながら「私、手摺がないと立てないんです!怪我したくないので!」と、大きな声で仰りました。

最初はその大きな声と勢いに怒りの感情を感じて驚きましたが、この方は、もしかしたら電車の乗り降りで過去ひどく傷付いたことがあるのかもしれない。或いは、脚の事でとてもこわい思いをされたのかもしれない。

私には有り難いことにメンターコーチが複数いてくださり、前職のご縁からご指導いただいている師匠に教えていただいたこの言葉がよぎりました。

「怒りは100%、何かに対する恐れなんだよ」

そう思った時、あの方の怒りは私の怒りかもしれない、とふと感じました。私が怒りを感じているとき、(少し大袈裟に考えれば)周りにあのように反応してはいないだろうか。

量子力(物理)学的にいうとあのご婦人も私も、同じ素粒子という物質からなっており、光の点滅の集合体です。そしてその素粒子(フォトン)が発する周波数が引き合って、そのご婦人と私が同じ車両に乗り合わせたのかもしれない。怒りという感情に向き合っていた時期と同期したこともあり、そのように感じました。

怒りは感じない方が良いのか?

私は出来れば怒りなんて感じたくないし、それを抱えて生きたくはないです。きっと殆どの方が同じではないでしょうか。

怒りという感情は、恐れから変化したもの。そう考えると怒りを感じている状態というのは、人間の本能である危機的状況シグナルを身体と脳が察知し、“逃げる”、“固まる”、“戦う”、このどれかを選択している状態です。残念ながらこの状態で長時間過ごすことは人間の身体に多大な負担を強いてしまいます。その状態が解除された後も疲労して免疫が下がった身体を回復させる為にかなりのエネルギーを消耗します。

怒りと悲しみが免疫を下げるという結果は研究で証明されており、逆に、笑いや許し(怒りからの解放)が癌細胞を消すことも科学的に証明されているそうです(私は専門家ではないので論理的な説明は出来ませんが、もしご興味ありましたら是非お調べになってみてください)

では、怒りという感情は人生において無用のものなのでしょうか。

量子力学的に見ると素粒子の集合体である私たちは、様々な周波数(1秒あたりの波の数)を常に発しています。その振動数は色々な感情の波が合わさったもので出来ていて、例えば、「イライラ」「怒り」「悲しみ」「苦しみ」「批判」「罪悪感」「怨み」「妬み」「自己否定」「喜び」「愛」「慈悲」「感謝」「感動」などがあります。そしてこれらの中で一番振動数の高いといわれる感情の波が「慈悲」「愛」「感謝」です。

では、ネガティブ感情は出来るだけ減らした方が良いのでしょうか。

実は、“すべてのネガティブ感情+すべてのポジティブ感情の総合値 =「愛の大きさ(より高い振動数)」” になるのだそうです。つまり、経験した苦しみや悲しみが深ければ深いほど、より深く大きな愛になる。何故ならば自分が傷ついた分だけ他人の痛みが分かる能力を身につけ、寄り添うことができるから。

様々な感情と向き合い、味わって自分のものにしていくことが実は自分の中にある愛を育てることになるんですね。

但し 物に当たったり、他人を攻撃する事で発散してしまうと、逆に振動数が下がってしまいます。耳が痛い笑。

詳しい証明は私には分かりませんが、素直に腹落ちした感覚でした。

今回の話題に関連して仏教の教え(般若心経)が量子力学で証明されているというお話も興味深く、またの機会に書きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?