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プロ野球、とはNPBとメジャーだけではない ~世界の野球で戦う人たち~

濱矢廣大投手がまたオーストラリアで投げるようだ。

2020年に横浜DeNAベイスターズを退団後、メキシカンリーグやセリエAなどを回り、今年はオーストラリアでボールを握るということだ。
彼のプロとしての球歴も9年になる。NPB通算成績40試合登板3勝1敗0S1H 防御率7.25。そんな彼はいまだにプロフェッショナルの看板を掲げながら世界を歩くジャーニーマンとしてマウンドに上がっている。

SNSの普及でこういう選手が表に出る機会がかなり増えている。
NPB、MLB以外で活躍する選手がいることを改めて我々は知ることが増えているのだ。
では過去そういう選手はいなかったのか。
これが意外にも結構いたりする。
それを今日は紹介しよう

1、ルー・フォード(元阪神)

2008年阪神タイガースに加入したルー・フォードがコーチ兼任でありながら現役であることを知った人はわずかながらいるだろう。アトランティック・リーグ、ロングアイランド・ダックスで47歳になる彼がホームランを放ったということが伝わったのも記憶に新しい。

2004年MVP候補30傑に選ばれたこともある彼は2008年、阪神タイガースを退団後、メキシコリーグなどを経由しながら2012年ボルティモアでメジャー復帰。しかしあまり活躍できずに主な主戦場をアメリカ独立リーグのアトランティック・リーグにしている。
キャリアにして24シーズン。コーチ兼任ながら非常に長いキャリアを持っている。

彼がロングアイランド・ダックスに入団したのは2009年。丁度阪神退団後ということになる。その後多くのリーグを経由していくのだが定着をするのは37歳になった2014年。140試合出場している。打率.347、15本、95打点。ベテランメジャーリーガーの力をいかんなく発揮している。
2019年からは段々と出場機会を減らしているが、いまだに現役としてプレーしているのは周知のとおり。いかにほかのスポーツよりも運動量が少なめといわれる野球でも年間戦うためにはやはりそれなりの節制が求められることを考えると彼がいかに野球に自分の人生を注いでいることが手に取るようにわかるだろう。
そうやって、プロとして今も打席に立っている。

2、ロベルト・ラミレス(元阪神)

2000年阪神に入団したのち、その年で解雇された彼は2001年からメキシコリーグのメキシコシティ・レッドデビルズに所属している。
メキシコシティ・レッドデビルスは1940年に生まれたチーム。歴史だけで言えば大谷翔平のいるロサンゼルス・エンゼルスやNPBにある多くの球団より歴史が長い、メキシコのみならず世界のプロ野球史でも古い球団の一つであったりする。
今年も2位のタバスコ・オルメクスに差をつけて首位。メキシコの名門チームと言っても差し支えない存在だ。

https://www.diablos.com.mx/

ロベルト・ラミレスは2001年から9勝3敗、防御率3.66という成績を残し、そこから2013年まで現役を続けている。元々ラミレス本人もメキシコ出身であったから地元に戻ったというほうが正しいだろう。
2002年には14勝2敗、防御率2.84という存在感を表す。
その後2013年まで現役を続け、通算1232.1イニング投げ95勝56敗という時代を代表するエースとして投げ切っている。

それはメキシコシティにとっても時代を代表する選手として扱われており、youtubeのレッドデビルス公式アカウントで紹介動画が作られている。スペイン語が分からなくても「阪神」という言葉が出てくるのがわかるだろう。

彼のように日米では活躍しなかったものの一つの場所でエースとして君臨した投手もいたりする。

3、ギジェルモ・モスコーソ(横浜DeNA)

この手の話をする際にギジェルモ・モスコーソの名前を出さないわけにはいかない。
彼がプロリーグに入っての総イニング数は現在2126.0イニング。NPBの通算成績だと星野仙一(元中日)の2128.2イニングに相当する。何を言っているか分からないかもしれないが、一人の投手として投げたイニング数だけで行ってしまえば超一流の域に至っている。

モスコーソが珍しいのはメジャーで8勝10敗というシーズンを得ていたり、横浜時代に9勝9敗と、とにかく年間通して活躍したシーズンが日米ともにあるということだ。もちろん複数年となると一気に不安定になるのだが、前述のルー・フォードのように来日後活躍しなかった、という選手は少なくない。
安定した力を出せることがここから見受けられるのだ。
しかも両成績は本人のキャリアハイに相当する。普通はAAAで勝ちまくるがMLBやNPBでは、という選手が多い中、世界でも高いレベルに属するところでキャリアハイを挙げている珍しい投手でもあるのだ。

リーグも多く経験しており、メキシカンリーグ、ベネズエラリーグ、カリビアンシリーズと中南米でもそこそこ厳しめのリーグで毎年投げている。そのためギジェルモ・モスコーソを動画で調べると多く出てくるのも特徴だ。

生粋のジャーニーマンであることがわかる。
このような生き方もあるのだ。

4、アレクサンドロ・マエストリ(オリックス)

変わり種になるとイタリアンベースボール、オーストラリア、KBO、メキシコリーグを経験したマエストリなども国際的にあちこちを歩いた投手だろう。現在でこそ欧州野球ではG.G.佐藤(元西武、ロッテなど)が移籍したことやWBCで日本が対戦したこともあってイタリアにも野球リーグがあることが知られていたが、2012年イタリアのリミニで投げていたこともあり、欧州野球初めてのNPBプレイヤーとなった。
2020年までサンマリノで投手を務めており、その際コメントを受けていたりする。その際「Maestri」という形ではなくすべて子音を含めた「マエストリ」と日本で呼ばれていたことを話していたりする。

マエストリの投げた試合の動画も残っている。
近年は欧州での野球という選択肢も出てきたので改めて紹介しておきたい。

5、返田岳

最後にNPB、MLBには参加していないものの、多くの国で野球をしている日本人を挙げておく。
慶応義塾大出身の選手から関西独立リーグを得てドイツ、オーストラリア、ベルギー、アメリカ、プエルトリコ、メキシコ、アルゼンチン、ドミニカ、スウェーデン、南アフリカ、スイス……。もうあらゆる国で野球をやっている。(10/1、一部訂正。やっぱり間違っていました。本当に多くの国で野球やられている)
一応本人のfacebookから確認をしているが間違いや見落としがないか怖いと思えるほどだ。ジャーニーマンは多くいるが、ここまでのジャーニーマンっぷりを私は知らない。

写真家やyoutuberを兼任しながらあらゆる国で野球をするその姿は世界のジャーニーマンに劣らない。彼の残しているyoutubeは日本にあらゆる世界の野球情報を残す重要なものと言っても差し支えない。

どうしても日本ではプロ野球選手というとNPBやMLBで結びがちになるが、兼業や独自のスキルなど、工夫次第であらゆる国の野球選手として生きていけることができることを示唆している。
実力がなければプロ野球選手になれない、というわけではない。考え方と工夫次第でプロ野球選手になれることを外ならぬ日本人が証明していることを忘れてはならない。

6,終わりに変えて

野球ボールを握ったときには誰しもが必ずプロ野球というカクテル光線の世界を目指すであろう。確かにそれは大きな答えにして目標だ。なれるかなれないかは別にして、あのチームのユニフォームに袖を通し、多くの観衆の中プレーをしたい、と思う人はいるだろう。
しかし多くの人が途中で様々なことに出会い、その夢を手放していく。
才能であったり、人間関係であったり、興味の変遷であったり。

だが、もし野球で生きていきたい、と思った時はNPBやMLBだけが正解とは思ってほしくない、というのも本音だ。
もちろんNPBやMLBに比べるとその多くが一枚落ちたりする。この二国以外である程度整っているリーグとなれば韓国や台湾、メキシコといったプロ野球選手たちでさえもなかなかに苦しむリーグであろう。日々生き残りをかけて戦うリーグほど設備もよいものになっていくのだ。
自分の力と様々な選択肢の中から、考え、選び、進むことができればまた違った道が生まれる。もちろんその道を捨てるのも自由だ。私だって音楽の道を捨てた身分だ。捨てることを恥とは思わない。むしろそうする人のほうが大半だ。

だからこそ、あきらめきれないと思ったのなら、いろいろな選択肢を視野に入れてほしいと思う。
世界には多くの選手が研鑽を積み重ね、たまにNPBやMLBにも顔を出す。
それがWBC以降急激に広がる野球の裾野に挑戦するということでもあると思うのだ。

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