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第6回野球文化學會研究大会の感想にかえて


趣味が高じて毎年必ず参加している学会発表がある。
野球文化學會 第6回 研究大会
私を知る人だったら「お前修士まで行ったんだから上代文学会とか萬葉学会とか行ったら?」と言われそうだが、それよりも野球が好きで好きで仕方ない人間の数少ない楽しみというか。
そもそも野球をやるのも観るのも論じるのも大好きな人間。一つくらいはこういう趣味があってもいい。

私が最初に行ったのは何回だったか。研究発表で学会の内情をばらすような内容で荒れに荒れた記憶がある。
「付き合いきれない。俺は非会員なんだからこの学会出席のためだけに5,000円も払ってるんだぞ。こんなくだらない事に時間を割くために来ているんじゃない」
と思って席を立ったのをいまだに記憶している。写真撮影の際「私もあの時、君のように立ちたかったよ」と言われて苦笑いしたのも遠い記憶だ。
正直研究大会に毎年のように顔を出しているのにも関わらず会員にならないのはこの時のことを引きずっているに他ならない。(あの時の発表者は今どうしているのだろうか。感情のままに研究大会をめちゃめちゃにして学会の信用を落とした責任はきっちり取ってもらいたいものだが。)

いかにしても毎年自分の持ちうる知識の位置がどのあたりにいるのか。文面になっていない新しいものがないか、と思って毎年参加している次第である。

新型ウィルスも落ち着きを見せ、久しぶりに会場開催となったのは一つの時代の終焉を思わせる。丁度100年ほどまえ世界ではスペイン風邪ことインフルエンザが世界に猛威を振るったが、このような感じだったのだろうか、と感慨を覚えさせられる。一方新型ウィルスの注意は収まっておらず、私の今お世話になっている職場で数名が羅患。その穴埋めなどで出ずっぱりだった影響もあり現地参戦は諦め、zoomでの参戦と相成った。

今年はアメリカから日本に野球が伝来して150年という一つの節目に入る。恐らくこの50年後、200年という節に関わる人間はごく一部となるだろう。そう思えばここで150年の節目を学会研究という形で祝えるのは素晴らしいことである。我々が野球であれこれ論じずとも野球の記録、記憶は足を踏み続ける事になる。ならば指を咥えて見守るよりも、勇気を出して口を開いてみるのも一興というものであろう。

それにしても今大会の研究は深みのあるものが多かった。
特に今大会では独立リーグを扱う人が多かった印象がある。
経営という面で広尾晃氏が。選手のセカンドキャリアという面で田所明憲氏が話されていた。
特に印象的だったのが同じ独立リーグを扱っているのに対し、広尾氏がセントラル化の方面に話題を進めていたのに対し、田所氏は独立リーグで弾かれて行く選手のソフト面を話題に進めていたことであった。
特に田所氏は前年度の大会で大まかな概要を話されていたのに対し、今回は中村哲也氏(高知大学)の指導を得たのか、共同発表という形で実に深いものに作られていた。現在の独立リーグがどのようなセカンドキャリアを行っているか、という一面的な内容に終わっていた前回に対し、セカンドキャリアをどう考えているか、という事を高知ファイティングドッグスに以前所属し、現在阪神タイガースに籍を置く石井大智選手を参考例に挙げたり、それが選手にとってどういうキャリアへの精神的バックアップになるか、など面白いものであった。地に足の着いた研究であったと言える。
現在プロ野球は拡大化を模索しようとしているが、無理やりセントラル化を推し進めたところで上手く嚙み合わなければ苦しむことは2012年以前の東北楽天ゴールデンイーグルスの観客動員数が物語っている。改めてアマチュア、セミプロといった場所の整備が進むことが日本野球には必要であると感じた次第であった。

そういう意味では中央から地方への提案を行った伊藤正浩氏の話もよかった。
特に私は筑豊出身で、福岡の社会人野球から江藤慎一や古葉竹織、監督として濃人渡のいた日鉄二瀬があり、プロでは小鶴誠が飯塚出身。もう少し広範囲で見ると東洋高圧大牟田には原貢がおり三池工で三池旋風を巻き起こした後神奈川の東海大相模に入り神奈川の高校野球を著しく鍛え込んだ一方、中間市出身の中村順司はPL、名古屋商科大、三菱キャタピラーを得た後、PL高校野球部監督として大阪の高校野球を一気に盛り立てた。
現在では今シーズン監督として引退したBIGBOSSこと新たに北海道日本ハムファイターズに就任した新庄剛志も福岡の出身だ。福岡や筑豊が持つ野球の息吹は現在の日本野球における根幹を語る際には必要な部分になってくるのではないか、という未来の想像が出来た。

そういう意味ではNPO法人西鉄ライオンズ研究会の正会員である松原弘明氏、消えた球団 1950年の西日本パイレーツ著者である塩田芳久氏など福岡に所縁のある方が多かったようにも思える。独立リーグの九州リーグ含め、九州から伝わってくる熱い野球熱を感じずにはいられない。

また、仕事率や純出塁率を提唱した朝西知徳氏のように試合における独自計算法を発表にしてきていよいよ本場あめりかのsabrじみたこともし始めたな、と思い始めた。ビル・ジェームスが提起したときはあまり評価されなかった野球の統計学を新たに提唱しているのは学会にも新風を引き起こすきっかけではないだろうか。ネット上で登場し、ネタにされつつも一定の評価を得ている「小松式ドネーション」「赤星式盗塁」などを検証、発表する人が出てきてもいいのではなかろうか。

150年の野球歴史をまとめる、という事で指導法なども新しい提案が出てきた事も書いておきたい。
金森潤熙氏の野球指導革命は些か学術発表的なものではなかったが、例えばサッカーなど19世紀に日本に伝来してきて指導などの在り方も野球とは全く違った道筋を歩んできた「スポーツ概念という輸入品」を日本がどう扱ってきたか、という立派なケースモデルになるのではないか。今までの武道的、懲罰的指導を謝る場面もあったが、氏に行ってもらいたいのは贖罪ではなく、新たな世代、野球伝来200年への提案といったところか。
しかし野球だけでは見えてこないところもある。戦前戦中のサッカーと野球と言えば歌手灰田勝彦が両者を経験しているので追ってみるのもいいかもしれない。

体育教育として石村広明氏の内容も興味深いものであった。
ハンドボールの遠投だけで運動能力を調べられるのか、という疑問からの提案であったが、野球という分野で見てみると非常に面白い反面、体育教育で見ると握りが飛距離を左右する野球ボールとハンドボールの明確なポジション分けをする必要があると覚えたりとさらに追及できる要素を多く感じた。

そういう意味では野球の過去、現在、未来を話すような内容が非常に多かったように思える。
発表者の多くが来たるべき50年後を見据えた内容であったように思う。
他にも松原弘明氏の2004年球界再編問題を取り上げていたが、20年を迎えようかとしているこのタイミングで改めて球界再編問題を客観的事実として論じる事が可能になったと感じる。我々の世代だとあまりにも直撃したためにバイアスがかかり気味になるが、それを歴史の一端としてしか知らない世代がまとめる事はかなり意味のある行為になるのではないか。

そのまとめにシンポジウムでは日米交流史観点から長らく野球史を支えてきた池井優先生と永井陽一先生であったのはいい締めだったのではないか。
そしてそれを踏まえたうえで郷土研究の重要性をさらに補強した井上裕太氏の発表が野球文化學會の方向を示したと言っても差し支えないように思う。一高で野球を覚えた学生が故郷の学校に持ち帰り、生徒に教えていったように我々学問の分野も同じ轍を歩む必要があるようにも思う。
日本野球の根幹を支えるものはなにか。それは日本に住む、もしくは生を受け、土に還った多くの日本人、日本に関わった人々であることを忘れてはならないし、彼らを言葉で、文章で掘り返す事が日本野球の未来への手向けでもある。

そういう意味では野球伝来150年という一つの節目を受けた野球文化學會の新たなスタートであったようにも感じられる。
私もまた、一書生として野球を調べ学ぶ事への弾みとしてこの研究大会を受け止めたいと考えている。
この研究大会からまた新たな野球の道を切り開く事こそが我々野球を文章や言葉にする者の使命である事を再確認した次第である。

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