いい年したおじさんたちの夏 都市対抗野球大会を見ながら
1,伊集院光の話す社会人野球
「いい年したおじさんたちが必死になって野球をやっているところが高校野球と違った味わいがある」
伊集院光が本人のラジオ、伊集院光深夜の馬鹿力で社会人野球をこういっている。
もう社会人野球を観てきて5年か。改めてその見方は外れていないな、と感じる時がある。
我々、特に部活に打ち込んだ人間たちにとっては大学を終えて社会人になっていく時、一度大きく考える事がある。
それは今までやってきた部活動を今後も継続していくか、という選択を迫られるからだ。
その結論は人によって必ず一致しない。そこで引退をする人もいれば、まだ続ける人もいる。余裕が出来るまで封印してそのままという人もいれば、引退するつもりがそのまま続けてしまっている、なんてことも多々ある。そんな私だって音楽を辞めて十年以上経つ。
そんな中、いわゆる社会人野球、それも企業チームの選手は続ける事を求められ、またそれが大きな仕事となる場合も多い。そのために一勝に責任を求められる事もあるし、社業専念出来ればよし、時には勇退という形で会社から去る選手もいる。
そんな必死に生き残る事を求められる世界が社会人野球だ。
2,都市対抗野球大会
そんな企業チームにとって一番大きな存在はどこか、と言われたら東京ドームであろう。
毎年7月の中旬から下旬にかけて都市対抗野球大会が開催され、そこで得られる旗を目指していく。
ほとんど企業のものであったし、しいて言うならば一部野球ファンのものであった。
以前は応援席を応援グッズ含めほとんどどの企業も無料で配っていたから、事実上ただで野球の試合が観れた。
伊集院光が「応援席に入る時どちらかの社員になる」とラジオで冗談めかして言っていたが、実際そうやって申し訳なさそうに入っていた、という人も少なくなかっただろう。個人的にはそういう奥ゆかしさみたいなのは好きだ。
都市対抗野球が生み出されたのは大学野球などで活躍した選手たちの同窓的な「あの時活躍したスターをもう一度見よう」というところからなので、都市対抗野球大会に行くファンはアマチュア野球を併じて好む人も多い。
これは恐らく都市対抗野球大会というものが作ってきた土壌なのだろう。
古くは和製ベーブルース山下実からトヨタ自動車の精神的支柱佐竹功年まで脈々と続く都市対抗の血であろうか。
プロ野球が大きな存在になった今、紙面を騒がせる事は減りつつあるが、それでも紙面を沸かせたあの選手が今日東京ドームを駆け回っていると思うと感慨深い。
3,都市対抗野球を沸かせる音楽たち
都市対抗野球大会にはかの古関裕而も関わっている。
都市対抗野球大会公式テーマとして現在「我街の誇り」を使っているが、その昔は「都市対抗を讃える野球の歌」「都市対抗野球行進曲」の二曲があり、その作曲に関わっている。
古関は語るまでもなかろう。日本で野球に触れていて彼の名前を知らず、曲を知らないと言えばその人はもぐりだ。
そんな彼も掘り起こすととんでもない事になるのだがここでは割愛。
そして社会人野球では各々チームが持つ応援歌が飛び交う。
新型ウィルスの兼ね合い上まだ球場で歌う事はかなわないが、今日もラッキーセブンの頃には曲が飛び交っているのであろう。
現在は社歌など廃止の方向に行っている事がほとんどであるが、そういった企業の持つ歌に触れる事の出来る数少ないチャンスでもあったりする。
4,いい年したおじさんたちが支えるもの
ここまで書くと都市対抗野球大会が異質な文化である事に気付く。
高校、大学までやってる部活動を続け、部活動のように全国大会に行き、社員が応援に馳せ参じ、社歌を歌う。
高校や大学でやっている事の延長線上にあるのだ。
正直に言えば今更社歌を覚えさせる企業など多くなかろう。
社員と企業が密接で、労働奉仕の代わりに手厚い福利厚生を、趣味に至るまでカバーする、なんて言っている企業は昭和から平成にかけてほぼ壊滅した。
グローバル化という言葉と共に企業と社員の関係は大きく変わり、企業は社員に仕事を依頼する立場に、社員は企業の仕事を受ける立場になろうと変化を続けている。今の企業は昨今では考えられないほど企業と社員の関係は希薄だ。
そういう社会の変化が伴う中で社会人野球もかなり苦境に立たされ続けている。
多くの企業が
「今更社歌なんか歌わないような時代に、なんでいい年したおじさんたち野球やらせなきゃならないの」
と考えるようになってきており、それが社会人野球部の統廃合に繋がっている。
テレビで駅伝やマラソン大会が中継されるために宣伝広告の直接的な効果を求められる分、まだ陸上に力を入れている企業の方が多いくらいだ。
そんな社会の変化にも関わらず、都市対抗野球大会を通して社会人野球はしみじみと生きようとしている。
いつしか社会人野球は
「いい年したおじさんたちがやっている野球」
ではなく
「いい年したおじさんたちも含めて支えている野球」
へ変化をしようとしている。
勿論現状のままではよくないだろう。
少子化や娯楽の多様性に伴う「野球を選ぶ」人たちの減少は今騒がれた事ではない。
今までは「企業の福利厚生」「企業の宣伝広告」と言われていた社会人野球も企業の性質が変わると同時にあり方も大きく変化してきている。企業に「おらがチームを応援する」土壌がなければ早々に撤退される。
また、そういった風土ゆえに様々な身内でのトラブルも発生している。
カンパした金が野球に還元されずに消えている、など耳にする事は少なくない。企業的に余裕がないから一回戦で敗北するのが通例、というチームは古今東西必ずいるが今後はそれももっと顕著になっていくだろう。
それのクリアは必須課題になっていく。
しかし、大概いい年したおじさんになってきた私も最近はこういった
「いい年したおじさんたちが支えるもの」
を、ちょっとくらいは残してほしいな、と感じるようになってきたのだ。
人生そこそこ生きてくると、変化する事は重要だが、何もかもを改革していく事ばかりが良い事と思えないと感じてくるからだ。
「いい年したおじさんたちが支えている」
そんなものを大切にしていいように思えるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?