球春にコニー・マックの影を見る

   世間ではバットにボールが当たる音が響きはじめている。特に日本は野球ファンといえばほとんどの場合プロ野球を観ているため、段々と様々なところから聞こえる声や音に春を見出だしているだろう。

  これはアメリカでも同じくMLBの公式ツイッターも野球を待ちわびる発言が増えてきているし、一ヶ月もすれば毎日野球の話題に事欠かなくなるだろう。

  そんなアメリカ時間の2/8。フィラデルフィア・アスレチックスの重鎮、コニー・マックが死去して64年になった。


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スーツの似合う紳士、で終わるかもしれない。

  日本では馴染みが薄いかもしれない。アメリカでも野球好きならばスーツを着ながらカードを使って指揮をした、時のニューヨーク・ジャイアンツの監督ジョン“リトルナポレオン”マグロー永遠のライバルと呼ばれた彼、という認識を持つ人も多くはないだろう。野球の歴史を愛した偏屈ものの嗜みというべきかなんというか。

  そんな彼をちょっと話してみたい。

1、フィラデルフィアの白き象の持ち主

  現在オークランドに本拠地を構えるアスレチックスは1901年にアメリカンリーグに所属したフィラデルフィアのチームである。1893年に発足後、パイレーツの選手兼任監督であったコニー・マックを初代監督として引き連れたのが始まりだ。ここから1950年まで監督として、後半はオーナーとしてフィラデルフィアの球団を支えることになる。

  現在ではあまり想像しにくいだろうが、元々アスレチックスはナップ・ラジョイや、エディ・コリンズ、フランク“ホームラン”ベイカーなどの10万ドルの内野陣、ルーブ・ワッデルやチーフ・ベンダーなど、一騎当千の選手ひしめく派手なチームであった。

  1900年代、ルーブ・ワッデルなどを中心に癖の強い選手が揃っていた中で、それをまとめあげ、1930年まででもリーグ優勝のべ八回。そのうちワールドシリーズ制覇が五回という手腕を発揮している。それだけでも彼の能力は想像できよう。

  そんな彼最大の特徴は前述したスーツを着用し、カードで采配を振るったことだろう。今の野球界では考えられないだろうが、スーツを着たまま試合に参加する監督がいたのだ。

  スーツ姿で試合数挑むというのは古今東西あまり変わらず紳士という印象を持つらしい。それ故にいつも対抗馬とされたのは、泥まみれで試合に望むパワフルな監督、ジョン・マグローだった。

  ジョン・マグローもまた現代でも名前を目にする「スモールベースボール」を提唱し、徹底的な練習によってニューヨーク・ジャイアンツを鍛え上げ、その強さが今日の読売巨人軍に「ジャイアンツ」という名前をつけさせたのである。

  しかし結果としてはマック率いる役者揃いのビッグボールが、役者では一歩劣るマグローのスモールボールを食い破っている所を見る限り、軍配としてはマックにあがるか。

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 コニー・マックとジョン・マグロー 

そんな時代の名将であった。

2、1934年の日本来訪

  さて、このコニー・マック。日本と全く関係がないわけではない。1934年、俗にいうベーブ・ルース凱旋の時の監督として来日している。

  その時期にはもうベテランとして扱われ、新しいキャリアを考える時期にきたと同時に、その性格ゆえに上手くいっていないベーブ・ルースが大きな賭けにしたベーブ・ルース来日のものである。

  ただでさえ我の強いベーブ・ルースにルー・ゲーリッグ、チャーリー・ゲリンジャーなどの大物を引き連れるにはその首根っこを押さえつける程の人物でないといけなかっただろう。そこでコニー・マックに白羽の矢が立っている。

  1934年には日本もまた全体主義の色合いを持ち始め、白色人種の来日を快く思っていなかった(というよりはそれほどまで国際関係が緊迫していた)中での来日だったこともあって、その独特な緊張感は本人のコメントでも伝わっていたという。

  その一方で学生野球を中心とした日本の野球で中学、学生などのオールスターで迎え撃つという、現在のプロ野球の走りになる存在と戦っている。沢村栄治や浜崎真二といった、いわゆる職業野球を支える面々と戦った監督でもある。

  こういう穿った書き方をするのは失礼ではあるが、ある意味読売新聞の考える「職業野球」を作るための刀打ちの一人でもあったわけである。

  しかして日本オールスターは草薙球場(静岡)における沢村快刀乱麻の伝説を残し、16戦全敗となってしまうのだが、現在のプロ野球に脈々と続く歴史の一人にアメリカの巨匠がいるのはなんともニヤリとしてしまう。

3、コニー・マックが亡くなって

 その1934年の来日からもはや80年近く経った今、プロ野球を中心に数多くの野球が花を咲かせている。様々な問題を持ちながらも、あるときは真摯に、あるときは見て見ぬふりをしながら、桜の咲く前に花をつけている。

  今、コニー・マックが日本の球春を見てどう思うだろうか。

  我々の春を喜んでくれるのだろうか。それとも他の感情を持ち得ているのだろうか。それは我々には分からない。

  ただ、野球が好きな国民が敵であるはずがない、と言ったコニー・マックの事だろう。恐らくフィラデルフィアの大地から紳士のような優しい笑顔で我々を見つめてくれるのではないだろうか。

  そして、たった一言溢しているのではなかろうか。

「ほら見ろ。野球が好きな国民に悪いやつはいない」

  と。


  

  

  

  

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