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クラブチーム野球を観に行こう ~都市対抗野球大会観戦記~

1,数年の時間を得てお会いした一人の監督

「今日は試合に来ていただきありがとうございました」

横浜ベイブルース監督の杉山雄基氏から声をかけられた。何日も練習を続けていたのだろう、顔を真っ黒に焼いて、それでもにこやかに笑顔で受けてくれた事を覚えている。
杉山氏にはかれこれ一年以上の繋がりをSNSで持っていた。報道関係者でもない私は一般人が選手やチームに軽々しく触れる事をあまり良しとしないためある程度均衡を保っていたが、手を差し伸べてくれたのだからその手を叩くこともない。喜んでその手を受け取らせてもらった。

「悔しい試合でしたね」
「ええ」

試合というのはどうしても勝敗が付きまとう。どれだけ応援していても負ける時は負ける。悔しさも残った。だが精一杯やれたという満足感もある。そんな表情をしていたように映った。

温和で物事をよく考える性格が伝わってくる表情や喋り方だった。
なるほどこのチームはこの監督によってつくられているのだな、と改めさせて思った。

11-9。

数字だけ見れば単なる乱打戦であった横浜ベイブルースと山梨球友クラブの試合。

「観ている方は楽しかったと思われるが、やっている側には地獄だった」と言ったその試合を改めて振り返りたい。

2、迷いなき山梨球友クラブと考え抜く横浜ベイブルース

思えば彼らにとっての地獄が始まったのは二回表であった。
先発投手であった松崎圭吾投手が山梨球友クラブ打線につかまってしまい5失点。開幕からどうなるのやら、という状況から始まった。
恐ろしいのは山梨球友クラブナイン。強くバットを出すことに迷いがなく、振りぬいたバットがそのままボールを直撃。その強い打棒に守備が何とかできるレベルを超えていた。

昨今フライボール革命などでバットを思い切り振りぬく事を重視しているチームは少なくない。特に高校野球では顕著で、フライボール革命と金属バットの兼ね合わせによりホームランが増加。遂に低反発係数の金属バットへのシフトが行われるに至る事態になっている。
そんなスタートであった。

投手は自分が投げる事によって試合が動く、という性質上、大きな試合になればなるほどのしかかる責任が変わってくる。
小さな大会などでは気持ちよく完封をしていた投手が大きな大会になると簡単にノックアウトされてしまう、なんてことも少なくない。スカウトは球速以外のそういったメンタル面もよく見ていたりするのだが、まさにアマチュアの投手は水物だ。ここに投手の難しさがある。
そこに打線はつけ込むために、どんなに有望な投手でもあっという間に丸め込まれて負けてしまう、なんてことも少なくないのだ。

この試合はそうなる可能性を十分に孕んでいた。
多くの観客が「これは負けるかもしれない」「下手したらコールドもある」と思ったかもしれない。

しかし必ずしも横浜ベイブルースが劣勢というわけでもなかった。
この前の一回ウラ、無得点ながらフォアボールやヒットなどで満塁のチャンスを作っている。
これが熱戦の伏線になるとは私は気付かなかった。

三回の裏からじわり、じわりと山梨球友クラブの先発投手小林永人を一番の香川弘人から二番黒川陽平のヒット連発、日沼 航一はフォアボールを選びじわじわと追い詰めていくと満塁の場面で四番打者金城遼のフェンスまで届くツーベースヒットで3打点。

そう思えば山梨球友クラブは迷わないバッティングで四回表に三点を取り返し。
かなり激しい展開になった。

こうなってくると投手はかなり疲弊してしまう。
ただでさえ最近の寒さを感じさせるほどの涼しさが唐突に終わり、28度と初夏を感じさせる気温だ。想像よりも簡単にスタミナが奪われていっただろう。
段々と小林永投手はコントロールを乱していく。
それをベイブルースは逃さなかった。

うちごろとも思えそうなボールを見逃し、四球でじわり、ジワリと追い詰めていく。暴投や後逸を逃さずにランナーは盗塁。フォアボールと相手のミスを誘いにさそって四番の金城選手を中心に点を取り返す。
6回裏にはまさかの8-9まで逆転に持っていくに至る。

横浜ベイブルースナインはとにかく粘った。打てそうなボールはとにかく拾い、ヒットに出来なくてもファウルで粘り、相手のミスを誘ってフォアボールで点を取っていく。
二回に5点、四回に3点を取って余裕の方が多いはずの山梨球友クラブがあからさまに苦しんだ。それは投手たちのコントロールがあまりよくなかっただけでは済まされない存在感があった。

ボールに手を出すのは簡単なのだ。自分の感覚に合わせてバットを出せばいいのだから。
それを自信を持って振れるかどうか。これが打者にとって難しい問題なのであり、それが出てきていたからこその山梨球友クラブの強さではあった。
だが横浜ベイブルースは見て待つことを選んだ。その判断は決して簡単ではなかろう。それこそバットを出せば始まるのが野球だ。だからこそ彼らは相手の自滅を狙う戦い方に徹した。
それは段々と山梨球友クラブの首を真綿で締めるがごとく攻めたのだ。

こういう緻密な戦い方は徹底していくと段々と相手チームに疑心暗鬼を起こす。
「野球はミスが起こる」とはよく言うしその通りだが、当事者からすればそれで片付けられたら簡単だろう。
「あいつのミスが」「あいつのせいで」
これはチームで仕事をする上でどうしても付きまとう言葉だ。チームで何かをする上で必ず起こる残酷な側面はどれだけクリーンな野球を標榜しても逃げる事は出来ないだろう。
横浜ベイブルースはそこを突いたのだ。相手の疑心をついていく。
確かに「流れ」とかそういった数字に表れにくい不確定な要素ではあるが、横浜ベイブルースはそれを味方につけようと必死になっていた。そしてそれは回を追うごとに味方になっていった。
だからこそ8点という絶望的な数字を逆転する事が出来たのだ。

「選手に考える事を徹底させています。目指すは選手一人ひとりが自分で考えて自分で試合をしていくチームを」
杉山監督はそう語っている。

野球とは考えるスポーツだ。思考の髄を活かせば才能をねじ伏せられる事だってある。
それこそ100球投げたら降板する性質を味方につけて佐々木朗希をマウンドから降ろし、後続の投手から点をもぎ取って勝った5月27日の阪神タイガースのように。
27あるアウトのうち、何を考えて、どういう結論から勝利という結果を導き出すのか。これこそ野球の醍醐味であるのだ。
それをチームメイトは理解しながらやっている。色々考えながら勝利というゴールに向かって手を伸ばそうとしている。それは自分の活躍ではなく、時にはかっこ悪い攻め方になったとしても。

「俺のヒットを決勝点にしてくれよ!」
攻守交替の時、恐らく逆転のヒットを打ったであろう潮田隼人選手の明るい声が聞こえてくる。
この試合勝てる。そう思いながらこの試合を見ていた。

しかし、やはり戦いというのは最後に残酷な結果を残す。

勝利が見えてきた8回表、二番手に上がっていた加納雅也投手が四球で深澤翔太選手を出す。
しかし二番の小林竜也選手の打順、ファウルを捕手の黒川選手が追いかけたり、一塁にいた深澤選手を牽制アウトにしたりと一瞬勝利が見えそうな流れが横浜ベイブルースに来た。
と思った第四球、インコースに投げたボールが地面を叩いた。

この瞬間ふと「こいつはやばいかもしれない」と感じた。
初球インハイ、二球目アウトローをファウル。その次に牽制アウトときてのアウトロー。だから必然的に四球目はインコースのボールでストライクを狙うものになる。
目線が大分下がっているから高めを投げるか。逆球と見せるために低めを投げるかは捕手の考えるところだろう。ここはバッテリーの選択次第だ。そこでカウントを整えて勝負という形になるだろう。
その、この試合における一番粘っこい場面でインコースに投げたボールが地面に落ちた。

という事はこの先加納投手はストライクゾーンで勝負する事を得なくなる。
今まで相手の自滅を狙う戦い方をしていた横浜ベイブルースにおいて直接勝負をせねばならない戦いに追い込まれたわけである。
その瞬間加納投手は、浮足立ったか。フォアボールを許してしまう。

「やっちまった」

ここ一番の勝負、それも勝利を引き寄せていた場所でのフォアボールは辛い。
そして迷わないバッティングをする山梨球友クラブはそれを見逃さなかった。

意趣返しと言わんばかりにガードに入り、心が揺れたところに山梨球友ナインはバットを迷いなく振る。それは綺麗なライナーを描いて点を取り返していく。
そこには11-9と再逆転された横浜ベイブルースの姿があり、それにナインも意気消沈。
もしあのインコースのボールが、せめてまっすぐキャッチャーのミットに収まっていれば。そう思わずにはいられなかった。
そのまま試合終了。アマチュアの試合でも長い方に入る3時間の熱戦はここに終わった。

迷いのない山梨球友クラブの攻撃が、考え抜く野球の横浜ベイブルースを食い破ったのだ。

3,それでも明日の勝利をもぎ取るために

戦う以上勝敗は避けられないし、それに対して責任が発生してしまうのは仕方ない。こればかりは競技ならずともどのような世界でもそうだ。
しかしそれを攻めようとは全く思わない。勝敗には責任が付きまとうなら、それ以上の責任を求めるべきではない。頑張ったが一矢報えなかった。それで終わりなのだ。この失敗を一番苦しむのは他ならぬ責任を持つ人なのだから。

「プロや企業チームのように投手をポンポン出せませんから」

私の「あそこで投手スイッチしたかったですね」という言葉に杉山監督は苦笑いをしながら答えた。
思えばクラブチームの実情を無視した失礼なセリフであり、そのような言葉であったからこそクラブチームの本音が出た。

クラブチームはプロや企業のように能力の均衡した投手が何人もいるわけではない。時には十名もいない投手事情を無理やり回している現実がある。
日本には一万以上の高校があって、毎年一万人ほどの投手が出ているはずにもかかわらず、である。
その多くの投手が野球をやめ、何人もが紡いでいる野球史の舞台から去っているのだ。

我々、特に野球史なんか扱っている私なんかは
「名プレーヤーの影には多くの名プレーヤーになれなかった選手の骸が」
なんてしたり顔で言っているが、それを目の当たりにした気持ちであった。

実情も知らないくせに、なんと恥ずかしい事をやっているのか。自分の驕りを思い知らされる気分であった。

だが、だからこそクラブチームは限られたものの中から勝利をもぎ取るためにあらゆるものを尽くしているのだ。

杉山監督とお話ししているタイミングでちょうど横浜球友クラブと全川崎クラブの試合があっていた。
両投手とも130km/hが精いっぱいというような投手たちだ。プロ野球や甲子園の野球から知らない人達からしたら「レベルが低い」と言ってしまうのだろう。
だが、横浜球友クラブの投手林考澄投手は90km/hという緩やかなカーブを駆使して130km/h前半から中盤のストレートを切れあるように見せていた。
一方で全川崎クラブの佐藤康平投手は120km/hながらねじれる変化球で相手の狙いを絞らせないように必死に投げていた。

客観的に見れば彼らはプロ野球に繋がらないような「持たざる者」なのかもしれない。

だが「持たざる者」だからこそ必死に考え、悩み、その答えを探して練習に埋没し、自分を徹底的に苛め抜き、試合でチームを勝利させようと必死になっているのだ。

そこには野球の本質がある。
状況が揃えばヒーローになれるのが野球の魅力だ。必ずしも150km/hを投げれば、ホームランを打てればヒーローになれるわけではない。それが出来るに越したことはないだけで、それと活躍できるは違うのだ。

彼らはその瞬間を得るために必死になっている。
横浜球友クラブのセカンドから抑えをした中森恵太選手は二刀流としてチームのしんがりをつとめ、主将部長(間違いのため訂正)でもある神崎大輔投手は110km/hながら飄々とした投球術で中継ぎをする。

セイバーメトリクス的には使わない方がいい、と言われるバントを徹底的に駆使してプッシュバントでヒットをもぎ取りに行く。
一つのミスを取り戻そうと必死に守備に入ってファインプレーを取ってマウンド前で安心したか正座してほっとしていたり。

そんな「持たざる者」だからこそ勝利に食らいつこうと必死になる男たちの姿がそこにあった。

泥臭いだろう。派手さに欠けるだろう。
世間を賑わす大谷翔平や佐々木朗希のような黄金の輝きはないだろう。

だが彼らは何度も燻された銀のように、必死に今輝こうと自分を磨いている。

それは黄金やダイヤのように輝きを放つ者ではないのかもしれない。
だが、財布の中にひときわ輝く磨かれた百円玉のように、なぜか手元に残して大切にしておきたくなるような不思議な魅力を放っているのだ。

それは彼ら一人一人が勝利に向かって必死に何度も研磨された輝きなのだ。
それを評価する人はほとんどいないだろう。
だが、それでも磨き、勝利に向かって突き進む人の美学が垣間見える。

彼らの戦いは、才能だとか数字だとかで語ってしまうには惜しすぎる、勝利への美学の戦いなのだ。

4,クラブチームを観に行こう

「ぬかてぃさん、ぜひ応援してください」

杉山監督は私に手土産をくれた。本来なら私が出さなければならないのに。
それはタオルであった。プロ野球チームが応援する時に使う応援用タオル。
購入できるかどうかは横浜ベーブルースさんに確認を取ってください。

私はありがたく受け取った。(というかいただいてよかったのだろうか?なんかあったらカンパとしてなにかしますからね!)
それは横浜ベイブルースを応援しようという誓いを対価に。勿論杉山監督には言っていない。あくまで私が個人的に出した対価だ。

この時思った。
彼らは応援に飢えていると。

私も音楽の舞台にいたからこそ理解できる。
フィールドに立つ以上、応援されないよりは応援される方が断然いい。それは適度の緊張感と、多くのモチベーションを生む。

過去長嶋茂雄は試合開始前、必ずどこかの観客を適当に見繕ってプレーしていたという。
「彼らは今日が最初で最後の観戦かもしれない。ならば精一杯長嶋茂雄と読売ジャイアンツを楽しんでもらおう」
と心に決めて全力プレーをした、というのは野球史を扱う人間なら誰もが知るところだ。

その一助に私がなれればいい、と思えるのだ。

勿論横浜ベイブルースだけを応援するつもりはない。
元々どこかの狂信者になりたくないから特定の球団を応援しないようになった人間。いいプレーはどちらのチームでも褒めるし、悪いプレーには首を傾ける。
ただこうしてもらった以上バイアスを意図的に傾けるというだけだ。
「どうせなら勝ってほしい」
というものだ。

世間には勝利を求めるあまり滅茶苦茶な発言や行動をする人もいる。
時には審判をなじり、あろうことか自分の応援している選手を徹底的に汚い言葉で罵りとおす。ある試合では「(塁に出られるから)デッドボールを食らえ!」など応援なのかなんなのか分からない言葉も聞いた。「彼らはヒーローだから」を言い分に。
しかし、そこまでして野球は見るものではない。野球は人生の一部であり、チームの勝利はあくまでそのチームのもので、それを観客はおすそ分けしてもらうだけだ。

そのおすそ分けしてもらう先に横浜ベイブルースを選んだというだけだ。

しかし、ぜひ野球が好き、スポーツが好きならこういったクラブチームの野球を見てもらいたいと思うところである。
プロのように大きくない、等身大の、我々がそこにいる。
我々の代わりにマウンドに立ち、守備をし、打席に立ち、塁を踏んでくれる彼らがそこにいる。

帰る途中、恐らく横浜ベイブルースの選手であろう人と息子であろう子が駄菓子屋で買い物をしている姿を見た。
子供はユニフォームを着ており、プラスチックだろうか、バットを担いでいた。
彼らも試合が終われば社会人に、一人の父親に戻っていく。

彼らと私たち観客は地続きなのだ。
だから、クラブチーム野球は素晴らしい。彼らと私たちは、社会のどこかで、家庭のどこかでリンクしているのだから。

5,終わりに変えて ~ある悩む選手の姿~

実は先週の記事の後、ある選手からDMを貰った。
内容は伏せるが彼は野球をする中で自分の在り方に疑問を持ち、ずっと苦しんでいるようだった。

その彼がある場面で途中出場した。どの場面かはそれも伏せておく。
結果彼は活躍が叶わなかったが、杉山監督の元、考えに考え、出した結果だったのだろう。
彼の場面にハラハラし、その結果に少しのがっかりと、彼の迷いがふっきれたかのようなプレーに多くの安心を覚えた。

結果は伴わなかった。
しかし、私には素晴らしすぎるほどの活躍だった。

そしてそれを知っていたから杉山監督は彼を途中出場させたのだろう。
実際その次の回から横浜ベイブルースのじわりじわりと攻める、遅効性の猛攻が始まるのだから。

彼はどんな野球人生を、いや、人生を送っていくのだろうか。
先人としては自分の後輩を見るような目で彼の放つ鈍色の輝きを見ていきたいと、今も思っている。

●●選手。ピンク色のセントルイス・カーディナルスのおんぼろキャップを被った小太りの中年男性を見たら、声をかけてください。
音楽と文学、そして野球史の話が妙に小うるさいやつだったら、多分私ですから。

ジュースの一杯くらいなら、同じ野球を愛する人間としておごれると思う。多分。

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