金田正一の「走れ走れ」を振り返る

ダルビッシュ有選手の「走り込み不要論」が色々な曲解を伴いながら様々な場面に出てきて数年経っている。
今更走り込みが必要か不要か、という点に関して言えば各々が答えを出せばよいだろう。

とはいうもののやはり野球史をめぐる冒険を趣味とする私としては走り込みが本当に不要なのか、というのは常々問い続ける疑問でもあったりする。
やはり多くの選手が走り込みによって大成してきた一面があるのだ。最も野球選手を成功させたトレーニング、はねじ曲がった解釈にせよ、それほどまで走り込みと野球はセットにされてきた経緯がある。
改めて走り込みというものはどういうものだったのか。

1,ストレッチ

ストレッチという言葉がスポーツ界に定着したのは1960年代から70年代にかけてと言われている。それに準じた健康体操はあり、それこそ日本では1921年高知の評論家寺田瑛によってそのウォーミングアップの存在が示唆されている。それより前より準備運動という概念はあったとみてもよい。
1925年にはラジオ放送における健康体操が放送されており、日本でも1928年でもご存じラジオ体操が始まっている。ウォーミングアップという概念そのものはあったのだ。
ただ、ストレッチでいう静的ストレッチが登場するのは前述の時代で、それまでは俗にいう動的ストレッチが大半であった。

現在とは違い、多くのトレーニングやストレッチが確立していなかった1950、60年代では準備体操はするもののそれ以外のことを行う事は少なく、練習も終わってしまえばそのまま宿舎に戻る、という例は多くの自伝などで見受けられる。
まだアクティブレストのような血流改善による老廃物の排除というような生物学的アプローチも少なかった時代であることを考えると野球を始める前やあとに何を行うか自体のノウハウもなかったはずだ。

それを考えると野球に直結せず行えるストレッチ方法としてランニングを入れる、というのはあながち間違いではない。
また金田は「走るときに腕を振るから肩が強くなる」と言っているが、下半身や体幹に強い負荷をかける一方で適度な腕の振りは肩へのストレッチングや投球では使わない肩の筋肉を動かすきっかけになったと考えるのは自然だ。

過去ダルビッシュ投手は「血行がよくなるくらい」と言っていたがまさにそこが視点の一つでもあったとみてもいい。元々連投のために肩を冷やさないことを意識した金田正一であることを考えると、体中の血液を巡らせて常時試合に出られるような身体を作ることを非常に意識していたのではなかろうか。
まさに今より運動工学が発達していないときに編み出された工夫であるともいえる。

我々はつい現代の視点で物事を見がちであるのだが、必ず一度その当時にあったものがどのようなものであったか視点を見直さなければならない。

2,トレーニング

さらに言えば金田正一にとって走り込みはやはりトレーニングであったといっても差し支えないだろう。
投手が重いものを持ってはならない、と言われた時代だ。投手は体幹が太く腕が細い、デンデン太鼓のような体型が理想だと言われた時代である。現代であれば腕の筋繊維を守るために筋肉をつけろと言われる時代に逆行していたのだ。幹より枝葉のほうがしなりやすい、そして人間は幹をしならせるほどの力は得られない、という考え方を持てば正しいし、トム・ハウス理論以降幹でもしならせる力をトレーニングで得られる時代になったからこそ前述した言葉は古いものになったと考えれば重いものだ。

現在でこそ「体幹」と言われるが、金田の時代であれば「足腰」と言われたそれを鍛えるために導き出したものが走り込みと言われたらオーソドックスであろう。

有名な逸話として阪神のエースであった村山実が金田正一のランニングを追いかけて見失った、などの逸話がある。オールスターあとであったり、トレーニングに付き合ってなどと累計はあるが、少なくとも登場人物が金田と村山で、練習の虫と言われた村山が金田に負けた、というところだけ一致する。
これの真偽はとかく、両者がそれほど練習をすることに意味があったからこそ子の逸話が生まれたのであり、この優越はプロとして早いうちに在籍した金田だから、という先輩としての要素もあるだろう。もし仮にこの逸話が65年以降のものであれば巨人金田と阪神村山という関係にもなるからここは調査を入れるのもありかもしれない。閑話休題。

バーベルなどのウエイトトレーニングは1930年代には日本に入ってきたというのは柔道やプロレスで有名であった木村政彦での拓大時代に行ったトレーニングで散見されるが野球界ではやはり遅く、1980年代から蔦文也率いる池田高校が取り上げるほど後のものであり、アメリカでもノーラン・ライアンの記述をみるに1970年代頃にはアメリカでも一般化、その十年遅れと考えると記述として合致する。まだウエイトトレーニングという概念のなかった時代だ。
だからこそ投手が鍛えるのは「足腰」と「投げ込み」という二極であったことを考えると金田正一が走り込みに求めていたものは多い。
まだ腹筋は上体起こし以外はなかったことを考えると走り込みを重点的に捉えていたと考えてもいいのではなかろうか。

3,バランス、コンディショニング

実際金田正一の「走れ」は身体を鍛える、よりもバランスであったりコンディショニングとしての意味合いを発っすることのほうが多い。
走って身体を強くすることも必要だが、同じ出力をいつも出せることをかなり重視していたことのほうが多い。特にそれはロッテオリオンズに監督として在籍していた頃に表れている。
「実績のあるやつは走れ」
という言葉からそれを鑑みることができる。彼はむやみやたらに走れ、と言っているわけではないのである。

それは江本孟紀のコメントからも察せられる。

『投げ込み、走り込みの金田』ってやゆされたけど、金田さんは『俺は投げ込みして肩やひじが壊れるヤツには投げ込みさせないし、走り込んでヘタるヤツは走らせない』と言っていた。

江本孟紀氏、金田正一さん悼む「『やったるで!』って本が僕のバイブル。憧れだった」

これがどれほどのものかは測りかねるが、必ずしも軍隊形式にやれ走れ投げろという性質を持っていない。
元々現役時代から「金田鍋」や昭和では珍しいミネラルウォーターの飲水などコンディショニングにかなり重きを置いている彼が意味もなく走れと言っているとは考えにくい。

金田さんが監督時代に、いくつか改革をされました。特に体作り。2月のキャンプ中の食事がガラリと変わりました。和洋中と何でもそろい、豪華になりました。その話が他球団にも伝わり、今ではどの球団も食事には力を入れていると思います。

八木沢荘六氏「懐の深い人でした」恩人金田さん悼む

これはベテランの頃金田政権下にいた八木沢壮六の発言である。
現在ほど食事に対する理論が確立していないながらも同じものを「とにかくおなか一杯食べられたらなんでもいい」という考えから脱却を図ろうとしているところがあったのは間違いない。元々合理主義的な思想を持つのが金田正一という男だ。
とにかく体の手入れという言葉と共にしていた選手が走り込みだけしていれば全て良しという考えではないだろう。

それに当時のロッテは投手陣に自信があったこともあるのだろう。

「監督で勝てる試合なんて、10あれば1にも満たない。采配じゃないんだ。優秀な選手がいないと、勝てないんだよ。ディフェンスから固めて0点に抑えれば、1点あれば勝てる。特に投手だ。当時のロッテは先発がちゃんといた。成田(文男)に木樽(正明)、八木沢(荘六)、それに兆治!」

「人生先発完投」の村田兆治さん カネやん相手でも譲らなかった信念

多くの投手がいたからこそ、多くのことを求めず今ある力を徹底的に磨き、それを維持することを求めたからこそ多く投げ、多く走れ、という結論に導いたというほうが事実として近いだろう。
また名前の挙がっている彼らの完投は多い。ベテランに入った八木沢こそこの後完投が一気に減り、救援を任されていくのだがロッテ黄金期を支える投手陣を変に手入れせず、今のコンディションを重視した結果下半身主体のトレーニングに行きついたとみてもいいだろう。
走ればその投手がよくなるのではなく、その投手がよいからそれを崩さないために走りこんで年間戦える状態をキープさせておく。

これこそが金田正一走れ走れの実態とみてもいい。
実際74年は完投数がリーグ1ずばぬけた43。翌年以降は投手黄金期を迎える阪急が70近い数字を残していき、一気に先発完投時代の最盛期を迎えていくが大沢啓二時代の30平均の完投時代から一気に変えた事は大きな意味がある。

ここで考えられるのは金田正一にとって走り込みはスタミナを鍛えることではなく、よいコンディショニングを一イニング、一か月でも伸ばすことであることだ。
走れば素晴らしい投手になるのではなく、走ることによって現在のスタイルを保ち、年間活かすことを注力した結果、当時のトレーニング、コンディショニングスタイルも相まって走り込みに至った、というほうが正しいのだ。

4,終わりに変えて

現在では多くのトレーニングやストレッチが発達した結果もはや走り込みでトレーニングをすることが素晴らしい、という時代ではないことは筆者も理解している。
しかしながら、走れ走れを過去の作法と決めつけ、過去の走ることで己を鍛えていった選手たちに「過去のもの」と唾を吐きかける行為には疑問を呈する。

ダルビッシュ投手のいうように
「(現在では多くのトレーニング法が確立しているから)走り込み不要」
という考えは過去のトレーニング法そのものを否定しているわけではない。もし仮に彼が1950年代の投手であればやはり走り込みに活路を見出すまではいかなくても必要なトレーニングと判断していたのではなかろうか。
一方で金田正一も現役時代が現代の多くトレーニング理論がある時代であればどうなったのかは分からない。ただ本人の哲学である
「足腰がしっかりしていないとピンチの時に踏ん張れない」
という考えだとするならば下半身主体のトレーニングにはなるだろう。しかし合理主義的な考えを持つ彼が走ることだけにすべてを賭けるような男であるとは到底思えない。
今のようにサイクルトレーニングやウエイトトレーニングも入れて総合力をさらに上げていた可能性もある。

むしろ金田の「走れ走れ」は投球練習よりも体幹トレーニングやウエイトトレーニングに一定の時間を割く、全身の力をつけることを重視した考え方だったのではなかろうか。
デンデン太鼓のような身体が投手の理想体型という現在とは違った理想像があったから全く一緒とまではいかないが、松坂大輔に下半身重視のトレーニングを課してバランス感覚を取り戻す方がいい、という考え方にはどうしても現在推奨される体幹への考えが出ているように思えてならない。

このように過去の発言を見直し、多くある資料から見直すことは非常に重要だ。
ただでさえ多くの情報が倒錯する現代。新しいものばかりを受け入れ過去を批判することは結局過去ばかり肯定し、現在を否定する老人と思考そのものは変わらない。

改めてこういう事の意図を解きほぐすことが選手一人一人へのアプローチになるのではないか、と常々思うのである。

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