本当に二番打者はバントだけ出来ていればいいのか

 打順論の展開において必ず語られるのは二番打者をどうするか、という問題である。一番打者、三番打者、四番打者に関しては多くを語られており、おおよそ全てのケースが出ているものと考えられるが、二番打者に関して言えば近年盛んに語られるようになった。特にメディア話題が盛んになりがちな読売ジャイアンツが二番打者にケーシー・マギー、ゼラス・ウィーラーを例に出し、強打の二番打者が新しい打順を制する、という論調を目の当たりにする。
 特にその際比較対象として出されるのはV9の象徴たる土井正三、90年代をイメージする川相昌弘を指し、旧世代の二番打者と論じる傾向だ。
 その際必ず語られるのは彼らは貧打ではあるものの得点圏内に持っていくために犠打が得意な選手である、といった論調が非常に多い。
 一方著者の実感としては確かにイメージ論として彼らは犠打が多いが、成績などを踏まえた上で本当に小技が得意な貧打打者だったのか。と感じたのだ。
 そのため今回は成績を交えて本当に過去の二番打者像はどういうものであったのか、そして今後どういう像を求めていくべきなのかを論じたい。

1、二番打者は本当に打てない選手なのか


 確かに土井正三、川相昌弘は打撃がうまい、という印象はない。いつも二番で犠打を打っていた印象がある。では本当にそうなのだろうか。
 まず土井を検証してみよう。彼の通算成績は.263である。確かに打者として大打者であったというには心もとない。通算本塁打も65本と時代を考慮しても多いとは言えないだろう。
 では犠打はというと242と多い方だ。だが、シーズンで見ると最多が1966年の26であり、近年と比べてもさほど高くない事が示唆できる。むしろ驚くのが盗塁数で、通算盗塁数が135、盗塁死数が65と盗塁企画数が多い。1971年までは2桁盗塁を成功し、1968年には21盗塁を成功させている。
 打率も波こそあるものの、.270以上をキープ、現役最終年になる1978年には110試合登板の.285でシーズンを終えている。しかも27犠打、三振18ととてもではないが打撃が貧弱であったとは言いにくい。
 一番や三番に比べて攻撃的ではないが、決して下位打線に置くのが関の山でバントがうまいだけで二番に置かれていた、というような打者とはいいがたい。
 土井正三通算成績(NPB公式HPより)

 川相昌弘もなるともっと面白いデータが出てくる。
 彼はバントのイメージが強く、実際バントそのものもその数が多く犠打533打率は.266と高いわけではない。本塁打も43と少な目だ。
 では彼が打てない打者であったかというと決してそんなことはない。急に二割前半や一割になるタイミングは多々あるのだが、二割後半打つことも多い。特に本格的にスタメン起用になっていく1990年は.288、10.4があった1994年には.302を放っており、決して打撃が出来なかった選手ではない。年度によって安定性が欠けるのは否定しないが、打つ時は打つ。
 特に意外と思うのが三振数の多さか。本格的にスタメンが急増してきた1990年から基本は40近くの三振をしている。土井正三も三振はあるが彼は50を超えた事がない。一方で川相は93年の64三振(打率.290)を最多とする。
 これは言い換えればバントだけをして成功させてきただけではなく、ちゃんとバッターとして打撃を行い、しっかり振ってきた証拠でもある。そして二割後半の打率を残している事からも彼がバントだけをやってプレーの糧にしていたわけではない。
 そしてその64三振をした1993年もほとんどが二番打者としての登録である。(1993年巨人スタメン一覧スタメンデータベースより)
 川相昌弘通産聖的(NPB公式HPより)

 ここから分かる通り、両者とも二番打者として犠打こそ多い特徴を持つものの、全く違う行動基準があり、一番、三、四番ほどではないものの打撃が下手でバントがうまい選手がそこに収まったわけではない事がわかる。
 また、土井正三のような盗塁川相昌弘のような打率、三振数から必ずしも犠打以外の特徴が見えており、必ずしもバントだけがうまい選手が収まっていたわけではないのである。

2,二番強打者は本当に成立していたのか


 二番目に問題になるのが二番打者に強打者を置けば必ず機能するのか、という問題である。例えば2021年ウィーラーを二番打者として扱い始めたのが、5月11日から7月6日のおおよそ二か月である。その後坂本勇人、松原聖弥などに引き継がれていく。
 ウィーラー二番打者になっていた頃の試合数は何試合であろうか。実は5/11~5/23の10試合、6/18~7/6の14試合の合計24試合、残りはパリーグ交流戦の18試合で合計42試合に3/30~4/4の5試合で47試合。それから先は行われていない。
 全てがシーズン前半かつ交流戦に割り当てられている事は意識せねばならない。
 3/30~4/4の5試合においては1勝2敗2分。5/11~5/23まで4勝4敗2分、6/18~7/6まで10勝4敗の15勝10敗4分と対セリーグ戦で圧倒的な成績だったかといわれれば難しい。勝率51.7%と非常に高いわけでもない。交流戦を入れて7勝8敗3分。すると22勝18敗7分。勝率46.8%と、強いとはとてもじゃないが言えない。引き分けを抜いても勝率55%。爆発的と言えるのだろうか?
 弱いとは言わないが新しい時代のスタンダードを刻む打順と思えるほど好成績とは到底いいがたい。
 ここを見るだけでも6/18~7/6まで10勝4敗、うち8連勝の印象が非常に強いため、新勝利の方程式が見つかったように見えるが、勝率46.8%という事、試合において2番ウィーラーが守備固めとして外されがちな事、交流戦があったことを鑑みても「試してみたがあまりしっくりこなかった」という印象が強い。
 むしろ世間が言うほど二番強打者を原辰徳含む首脳陣が信用しておらず、9月など6勝14敗5分としているのにも関わらずウィーラーを2番にしなかった、基本は5番で、それどころか下位打線に置いていた事もを考えるとそれが成功していたと考えているとは到底思えない。投手事情、引き分け数の上昇とといった要素があるにせよ、22勝18敗7分の勝率46.8%は記憶に入れておきたい。想像以上に二番打者強打者論で勝てていない。
 2017年のマギーに関しても同様で、彼が2番打者に座ったのは59試合。うち勝敗は33勝23敗3分で勝率55.9%。弱いとは言わないが圧倒するほどの印象はない。引き分けを抜いてやっと58.9%、ここまでしてやっと強く見える。だが、結果として見てしまえばチームは4位に転落しており、強いチーム運営が出来ていたのか、というと疑問が生じる。
 チームの名誉のために言えば確かに勝率は上がっているのだが、存在感を変えるほどの劇薬になったか、と言われたら首をかしげる。
日本プロ野球記録2017年2021年及びスタメンデータベース前述参考)

 特に巨人はメディアの強いチームであるからメディアから受けた情報をうのみにしていないか、という印象を受けるばかりである。

3,巨人以外の傾向を見てみる

 とはいうものの、これは巨人の話であり、優勝チームはどうであったのか、というのを見てみないと分からない。
 ではほかのチームを見てみなければならない。特に見なければならないのは2010年代圧倒的な強さを誇ったソフトバンクホークスだろう。10年のうち7年日本一を誇ったこのチームはサンプルとして十分適用するのではなかろうか。
 ではまず2011年、この年は二番打者は本多雄一が二番打者として全試合出場しているが、犠打53というリーグ最多犠打を打っている事が特徴とされる。また、盗塁60で盗塁死13、打率.305と高打率で高い盗塁成功率を残している。ホームランは0本だが。

 2014年はどうか。基本は今宮健太だ。その今宮は打率.240と低いが犠打62とシーズン最多である事は目を見張るものがある。ホームランは0本だが。

 2015年は面白く今宮を中心としがら中村晃、明石健志、川島慶三、本多雄一、上林誠知、牧原大成が入り混じる。犠打は今宮の35が最多で中村晃や明石はほとんど犠打をしていない。だが中村は一番、七番と様々な打順を任されるようになり打率.300を記録しているのは目を見張る。だが本塁打は今宮の7本が最多となる。

 その後は今宮が二番を座る事が増え、2017年は52犠打。
 2018年も激しい争いはあるが二番に任された選手は中村晃がほとんどやっていないくらいで多い。なぜか下位打線を任されていた甲斐拓也も23と妙に多い。意外なのが打つ二番打者の印象がある上林が17も犠打を成功させているところか。
 2019年になってやっと犠打が落ち着いてくる。甲斐の23が最多で次が牧原の12と大きく減る。しかし二番打者も混沌としており今宮一人の時代は終わりつつある。
 2020年は鳴りを潜め、甲斐の22犠打がリーグ最多。このころにはパリーグは犠打をすることが減ってきている事がわかる。やはり二番打者は固定されていない。
 ここに於いて初めて二番打者にバントが絶対条件たりえない、と言えるようになった。
 つまりバントをするチームが強かったのは正しいとまでは言わないが、強いチームでも二番打者にバントをさせても十分強い、とは言える。
 では2021年の優勝チームはどうだったか。ヤクルトとオリックスである。
 オリックスは後半になって宗佑磨が二番に着く。彼の犠打数は14、足立了一と同じ事からバントの有用性が落ちてきたとは言えても二番打者が強打である事を証明する手立てはない。
 ヤクルトは二番打者経験も多い中村悠平。彼もまた犠打数は14と少な目だ。途中から青木宣親が二番に入るが彼は犠打0。メジャーでやった事も作用しているだろうがそれ以上に二番打者として彼に求められているものが違うことを理解しているからこその犠打0であろう。この際は三番打者がベテランになって全盛期ほどの力をシーズン全体で出せなくなったから、という意味合いで捉える方がよかろう。

 このように、近年犠打そのものは減少気味でも優勝チームの二番打者にはバントも出来る程度の器用さが求められている事は間違いないと言ってもよかろう。
 なんてことはない。土井正三の頃から続く、犠打も右打ちも出来る器用な打者が多く、その選手が一番打者よりか三番打者よりかで一番、三番打者の連動が変わる、という方が組織の打順的な役割と見た方がいいだろう。三、四番打者よりもホームランは打てなくてもいいが打率は高めであることは条件で、その中でホームランに変わる武器として右打ちやバントがあるチームが強くなる傾向がある、という見方の方が大分正鵠を得ている。
 二番打者を強打者にすれば勝てる、という簡単な論調で終われるほど集団戦術を必要とする野球は簡単ではないのである。

4,では将来的にどういうバッターが二番打者に優れるか

 ここからは私見となる。
 現状統計学の取入れによりバントを行う事が必ずしも強いチームの条件とならないことはすでに知られているし、それを否定するつもりはない。
 ただこの10年を視野に入れてみても、大打者と言わずとも100試合換算でも.250以上を平均的に打つことが出来、かつそれは右打ち、犠打もそつなくこなせる打撃職人が必要になる前提は変わらないであろう。打撃はどれもそつなくこなせるものの、ホームラン以外の打撃戦術を取れる、打撃の引き出しが多い選手が入りやすい、といった言い方に変わるだけでやはりバントは必要とされるし、右打ちだって必要とされる。
 だが、前回広島カープ三連覇を調べていて思ったが、二番打者は想像以上に一番打者、三番打者の影響が強く作用することがわかる。
 広島カープ三連覇に於いて存在感が大きかった菊池涼介。近年では驚くほど犠打数の多い選手であることを忘れてはならない。2016~2018では83犠打。その前よりは減ったが彼の能力でどれほど田中広輔が助かったかを考えたら二番打者における彼の存在感がわかる。かといって菊池は二桁本塁打も打っているため決してパンチ力がない選手ではない。
 攻撃的に映るだけでやはり小技もこなせるのだ。
 だが田中広輔が弱まれば彼の存在感は打線で薄くなったことは否定できない。三番打者ばりに打てるわけではないが、一番打者のように攻撃的な盗塁が出来るタイプでもない。何でもできるが何かに特化できていない中途半端な打者が宙ぶらりんになったのが2019年以降の広島・菊池の姿だ。
 想像以上に田中や丸佳浩(現巨人)や鈴木誠也の存在が大きかったのだ。彼らが活きるためにどんなバッティングでも行える。これが広島三連覇におけるタナキクマルの存在感だったはずだ。恐らくこれは変わらない。犠打が減って打ち方の形が変わっても器用さを求められるポジションと言っても差し支えないだろう。
 むしろ一番打者よりは走れないだけで打つ力は同等、盗塁も同等の一番打者より打てないが打撃バリエーションが多い選手も当てはまるかもしれない。
 この辺りはチーム事情によって変わるだろう。チームの能力と相談して作っていくしかない。

 最後に強打の二番打者で日本でもトップクラスの選手は著者にとって誰か、だけを伝えておこう。
 足が速く、小技も上手く犠打も出来る。だがバッティングが悪かったわけではなく打率三割、ホームラン20本も経験したことがある選手。数名思いつく。
 元阪急・簑田浩二、そして元西鉄・豊田泰光の二名だ。時代が古いだけで参考にならない、と彼らをまず語らずして二番打者を語るのはどうなのか。そんなことを思う次第である。

P.S.

面白いものを見つけた。2003年阪神タイガースである。
一番今岡誠を出し、盗塁数わずかに1。しかも盗塁死1なのでひっちゃかめっちゃかだ。
それに引き換え二番赤星憲広。盗塁数なんと61。盗塁死10なので成功率は驚異の85.9%。
これでなぜか優勝している。
新しい1,2番打者論を考える際、なにか新しい気付きが見つかるのではないか、と考える次第である。

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