やきゅうきょうそくほんのよみかた
現在2012年ドラフトの結果が徐々に表れてきたのでそれを記事にしようと思い立ったが仕事で時間を取られ間に合わせる事はならなかった。
しかし考えてみると現役選手もアカウントを見ている人も多いのでたまにはそういった選手にも読めるような内容を書いてもばちは当たらないだろう。
とはいうものの、どれが一番いいトレーニングなのか、なんてのはプレイヤー一人一人によって違うのだからこれが一番、みたいなものを出す事は出来ない。
だからつらつら「効率いい練習法」などは口が裂けても言えない。それは少なくとも現場にかかって酸いも甘いも噛み分けた人間が初めて口にしていいものだ。
私だって昔は音楽プレイヤー。現役時代は効率よい練習を探していたが、楽器を触った事もない奴に「これが最短効率」みたいに言われると「なんでえてめえ、音の一つも出せねえくせに」となる。
一方、私は別段プレイヤーでもないのに野球教則本をペラペラを開いては色々勉強していた身分。MLBを知ったのも教則本に書かれていたトム・シーバーとノーラン・ライアンからである。
特に書籍だけでなくネットにも情報や知識が莫大に広がっている時代。どれを練習すればいいか、みたいな悩みはあるだろう。
だからこそ今回は「やってはいけない」に焦点を当ててみるのもいいのかもしれない。何かの役に立てば幸いである。
1,「新発見!」系列は注意なければならない
私が野球教則本を買い始めたのが2000年前半だったから、かれこれ20年はそういう本を買っている。そこで色々本を読んでいるのだが、近年非常に増えたなあ、と思う教則本は「これが今のトレンド」「新発見のトレーニング」といった「新しい」を売りにしているものである。
例えばドライブラインベースボールのウエイトボールなどは恐らく多くの人が勘違いしている。複個数のウエイトボールを投げる事で投手としての基礎力をあげていくもの、として扱われているが別段ウエイトボールそのものを投げる事は目新しいトレーニングでもない。
古くをあげれば登板過多で肩を壊した西鉄ライオンズ稲尾和久が「ボールより重いものを投げるのに慣れたら軽い野球ボールだと痛みが軽減するのではないか」と鉄球を投げて治した、という事を知る人は少なくない。
また中学時代の江夏豊が野球部がなかったために陸上部で砲丸投げをしていた、という記録も残っている。
鉄球を投げて腕を鍛える、という要素は過去多くあったのだ。
ただドライブラインの場合は創始者のカイル・ボディが怪我をして投手の道を諦めたところからメカニクスの動作解析を行い、怪我をしにくくパフォーマンスを維持できるところから始まっている。
現在のウエイトボールもそこに源流を発している。どちらかというと稲尾和久的ではあるが、彼は「痛みの軽減」を意識して投げていたのと、ボディの「重いウエイトでも崩れないメカニクス」では視点が若干違う。
つまりドライブラインを使う事で一番重要な事はメカニクス、つまりピッチングフォームであり、重いボールを投げる、というのはその理念の一環である、という事を理解していないと意味なく重いボールを投げるだけになる。
つまりドライブラインの基本理念をきちんと理解せず、ただ重いボールを漫然と投げていればそれは単なる「関節に負荷のかかるボールを投げている」だけになり、トレーニングの効果は得られないどころか怪我のリスクが上がる。
一方メカニクスを意識する事がドライブラインの目的なら、一人で行うのは非常に困難であることも考えておかねばならない。ウエイトボールを買ってそれを使い続けていれば投手としてワンランク上がる、というようなものではないのだ。
このように基礎となる考えがなければ漠然としたトレーニングとなってしまい、その漠然さは結果として試合で出てしまう。フィジカルが勝負の多くを分けたりするが、一点を奪い合う展開になるとこの辺りの差はかなり大きい。
それは書籍にも同じことが言えてしまう。
自説を流布したいために、メジャーやプロの動画を「解析」する人が多くあらわれ、それに自説を混ぜてさも「新発見」のように語る人はSNSを中心に増えている。
そういう人がどれだけちゃんと解析しているか。なんとなくを言葉として明文化しているだけなのか、という見極めが出来ないと変なトレーニングを漫然と続けていたずらに時間を使ってしまうだろう。
2,有名人の提唱するトレーニング≠自分が理想とするトレーニング
今日本には多くのプロアマ問わない選手やOBが野球関連の書籍を出している。youtuberのトクサンTVが野球教則本を出した時はついにこの時が来たか、と思ってしまった。
私自身は多くの人がトレーニングの話をするのは悪い事とは思わない。その世界にいる人でしか見えないものがあるので上手い人のトレーニングがそのまま適用されるものとも思わないからだ。それこそ山本昌がなんという選手か分からない野手から教わったスクリューボールを現役時代武器にしていたようなもので、意外なところから意外な事を教えてもらえるものだ。名前の憶えていない先輩から教わったシュートを武器にした平松政次しかり、野手の篠塚和典が遊びで投げていたスライダーを武器にした槇原寛己しかり。
ただ、一方で気になるのが「有名人が言っていたから」とあまりにもそれを妄信し、生半可なトレーニングをしている場合などがあるのだ。
特にそれは古いトレーニングの否定に観られる事だ。
例えばダルビッシュ有が「ランニングをする必要はない」という発言をめぐって投手のトレーニングにランニング、走り込みは必要か、という議論がかなり長い間された事がある。
これの是非を問われると非常に難しいのだ。
賛成の意見もよくわかる。「現在はトレーニング機器が発達しており、走り込むよりも効率よく選手に使える筋力トレーニングがある。その中であえて走り込みを選ぶ必要性はない」というものだ。特にこの話をしていたダルビッシュはテキサスにいたからなおの事であろう。
熱帯気候ゆえに走り込みが出来ないほど暑く、機械トレーニングが本格化する前は投手の墓場とまで言われたテキサス・レンジャーズの投手陣を変えていったのがかのエンゼルス時代から機械トレーニングをしていたノーラン・ライアンであり、それを推奨したトム・ハウスなのだから。
一方多くの投手が走り込みの中から誕生した事実も忘れてはならない。
もし仮に桑田真澄が桑田ロードを作るほどの走り込みがなければ今日の姿はなかったであろうし、金田正一も村山実も走りに関しては非常に自信があったし、金田に関しては「走れ走れ」で有名だが、72年彼の前任である大沢啓二の頃4.54まで落ち込んだ投手陣を3.43→3.12→3.33と三点台前半まで持っていったのはもっと評価されていいのではなかろうか。
やはり走り込みと投げ込みで出てきた名投手は多く、それを「効率」だけで断罪するのも正しいとは思いにくい。
と、賛否両論あるのだ。ちなみに筆者もどちらかと言えば反対派だ。効率的なトレーニングも大切だが走り込みは肉体的なトレーニングだけでなく、動きながら今までの思考の整理や新しい事へチャレンジするための考える、精神的な要素も多く養える。特に野球は考えるスポーツと言われるほど選手の思考力は試合に反映されるから、それをする時間を設けるのは非常に意味合いがあると言えるだろう。
問題なのはどちらが正しいのではなく、根拠を他者にゆだねてしまう事だ。
言い換えていたら「(有名人の)あの人が言っていたから」を根拠にしてはならないのである。
残念ながら有名人は自分の思っている事を口にしているだけで、それを練習に取り入れる立場の人の責任は一切背負っていない。あくまで「自分はこう思っているだけ」「これを理念にトレーニングしているだけ」であり、環境も立場も違う他者がどう勝手に取り組んでも関係ないのである。
だから環境が違うのに取り入れて、そのトレーニングが失敗しても「俺には関係ない」と言えるのだ。当然だ。貴方と有名人は友達どころか知り合いでもないのだから。
だからこそ一度試してみて「自分に合うかどうか」を考えなければならない。
特に近年のプレイヤーはアスリート思考から素直な子が多く、ゆえに立場が上の人から言われた事に対してうがった見方をしたり批判をしたりしない。「有名人=信用できる」と受け入れてしまうパターンが多い。逆にどんなに聡明な事を言っていても「有名ではない=信用できない」と信用しないパターンも多くある。そんなことはない。
たとえ無名でもジムのインストラクターはトレーニングに対して自分の責任の下発言をしているし、無責任に有名人の言葉を信じるよりもきちんと責任を元発言している人の方がトレーニーに合ったトレーニングを提示してくれるだろう。
有名=信用できる、ならば石田純一の不倫は文化発言を信用していい、というものである。あれは石田純一の知名度と女性遍歴だから言えるもので一般人が不倫をしたら責任問題に発展する。この石田純一の名前を消すだけでも多くが本当に信用に足るかどうか一度考える必要がある「眉唾物」である事に気付くだろう。
これは専門分野にでも言えることなのである。私のいた音楽の世界だって全く同じだ。有名人が言っているからと言って必ずしもそれが効果があるとは言えないのである。
なのでどんな有名人がやってようが、無名の人が言おうが
「これは信頼に足るか」「自分の役に立つだろうか」
を意識し、それを日々のトレーニングに取り込む。そして必要ならば取り込み、不要ならばやめる。
これだけでもトレーニングの質はぐんと上昇するはずである。
3、なんで今更その書籍をバイブルにするの?
前項にも繋がるのだが、これは書籍にも多い。
特に投手となると今の時代ではほとんどの投手が持っているであろう書籍に「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」があるであろう。私も勿論持っている。残念ながら「ハンク・アーロンのホームランバイブル」はあまり持っているという話を聞かないが。
とりあえずこれ、というような駆け込み寺のような書籍である。
実際にこの書籍はノーラン・ライアンの自伝も兼ねているところがあるから読み物として面白い。ライアンが機械トレーニングを入れた背景には出力というよりは怪我をしないため、同じ出力に耐えられる体を作るためであったりと、今の機械トレーニングを取り入れる選手と思考しているところが違ったりと面白い。
しかし一方で私はこうも思う。
いかんせん古すぎないか、と。
ノーラン・ライアンが機械トレーニングを入れたのはエンゼルス時代。つまり1970年代から始めたと言われている。丁度ヴィレッジ・ピープルがmacho manなどを歌っていた頃だ。トレーニングジムはこの辺りの時代の影響が非常に強い。
つまりライアンの機械トレーニングは今で言えば4,50年前のトレーニングに当たるのだ。走り込みが100年前から始めたとされるとウエイトトレーニングは50年前のトレーニングだ。小説だと古典に片足突っ込んでいる年月の経ち方だ。
ここで確立されたメソッドは流石の一言なのだが、一方でそこで思考停止をしている人も少なくないのではないかとも思う。言い換えれば「走り込みは過去を代表する思考停止の象徴」とするならば、その走り込みをウエイトトレーニングにすることも可能なくらい時代は経っているのだ。
しかしこれは科学で元素記号が新発見はあれど一定以上にはならない、みたいなものと同じで、走り込み、投げ込み、という元素記号があれば、ウエイトトレーニングという元素記号がトレーニングの世界にあった、という方が正しい。
あとはこの元素記号をどう組み合うか、というのが化学反応というもので、ウエイトトレーニングだけ多くしておけば上手くなるわけでもないし、今の時代走り込みと投げ込み一辺倒というわけにもいかないだろう。酸素Oに水素Hを二個加えれば水H2Oになり、Oを二個にして炭素Cを加えたら二酸化炭素になるように、今あるものをどう組み合わせていくか、の方が重要なのである。
なので例えば「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」を文字通りバイブルにしている人は「あのノーラン・ライアンの練習法だから」で思考停止しているパターンが非常に多い。本当にその練習法が自分に合っているか、自分の役に立つか、をキチンと考えずにただいたずらに行っている事が多いのだ。今の時代多くの書籍が一か月の小遣いであれば買えるだろうし、ブックオフに行けば古いながらも味のある野球教則本が100円で買えたりする。
この場合大切なのは「自分で調べる」「試行錯誤する」ことで今の環境で最高の結論を出す事が出来るのだ。
特に近年の書籍は「ラプソードを使え」「ジムに行け」など「そりゃあ金と環境があるならやった方がいいよ」という金銭面でのハードルを要求してくる書籍も多く散見している。これは正直ここ数年の書籍で非常によく見る。自分で稼げる人ならそれも簡単だろうが、読者の半分は親から出してもらっているのではないだろうか。となると書籍通りにやるわけにもいかない。
また、そういう書籍は自分の何かの宣伝も含むので単元一つの内容は濃くても全体では薄味のものが多く、どうも書籍全体でもコスト高の印象を受けるのが本を読んできた私の感想でもある。
最初の一冊がバイブルとなる事は多いが、必ず自分のバイブルを再検証する必要性がある。これはどの書籍にも言えるが必ず弱点は存在する。そしてその弱点はその書籍一冊で解決する事は永遠にあり得ない。
そのため定期的に読み返す事や新しい知識を得ていかなければならない。たまには野球から離れて陸上や他のボールスポーツのトレーニングを調べてもいい。野球以外からも吸収できる知識やトレーニングはある。
だからこそ新しい知識を調べる事が必要なのだ。これは何も新しい本を買えというわけではない。常に今の行っているトレーニングに疑問や問題を持つ意識が大切なのだ。桑田真澄のように怪我の改善からピアノに行きついたプレイヤーだっているのだ。トレーニングに繋げようと思ったら音楽に行く事も可能なのである。その思考の柔軟性こそがトレーニングの質を上げていくと思っていい。
特にSNS界隈では「知識のアップデート」という言葉を使って自説を広めようとする人は多い。それはマナーのコンサルタントが自己流マナーを「これが最新のマナー」と教えを請いに来た人々に押し付けているのと一緒だ。一度はやってみてもいいが合わないと思ったらそうそうに捨ててしまえばいいのだ。
試行錯誤を重用して初めてトレーニングは輝いてくるのだ。
4,最後に~個人的に好きな教則本~
トレーニングは「自分を疑う」事からスタートするものだと思っている。
「なぜ出来ないのか」「どうしたら出来るようになるのか」「出来るようになるために何が必要なのか」
これら疑問を解消していくのがトレーニングである。
言い換えたらトレーニングにおいて一番やってはならないことは「思考停止」であり、思考を続ける事こそがトレーニングの質を上げていくのである。
それがここ20年のキーワードとして出てきた「やらされるトレーニングではなくやるトレーニング」というものだろう。結局基本はここだ。ここがきちんとしているならば何をトレーニングブックにしたって構わない。ノーラン・ライアンや村上豊といった古臭い物からお股ニキといった胡散臭い怪しいものでも一行に構わない。上手くなるもののきっかけはなにか分からないのだから。
ただ、一応読書する事は好きな人間なので、これはおすすめという本を数冊紹介して終わる。
「小林繁の楽しい野球<投手編>」小林繁/小峰書店
元巨人のエースにして江川卓とのトレードで阪神に移籍した小林繁の小学校高学年から中学生向けに書かれた教則本。トレーニングそのものを扱う事はほとんどなく「中学時代のバスケットやバレーが野球の糧になった」「昔は許されなかった水泳も今では多くの選手がやっている」などいわゆる「科学的トレーニング」時代に書かれた事がわかる書籍。
しかし前述したようにトレーニングの基本は「思考力」であるからトレーニングをする際に「どういう発想でしたらいいか」「どういう事を考えながらやると上手くなるか」なんかを考えるにはいい書籍。本を読みなれていない人にも読みやすいし。
一度は読んでおいて損はない本。なお、登場する投手はまあまあ古い。著者が初めて読んだ時は中学生の時と20年以上前なのだが、その時ですら知らない投手がちらほら出ている。そういう選手はyoutubeで調べてください。
「150キロのボールを投げる!―速い球を投げるための投球技術とトレーニング法」竹内久外志、花岡美智子/ナツメ社
投手としての基本トレーニングやチェックポイントなどが事細かに書かれている、文字通りメソッドとしての本。なによりかなり売れた事もあって中古で1円で買えるのも魅力。
また変化球の投げ方に対して一切触れていないのも特徴。本当に150km/hのボールを投げる事しか念頭に入れていないため、逆に自分の基本を作る事が出来る。基礎のフォームはどうしてもストレートで作っていくために読み応えはあるだろう。
いかんせん古い書籍に当たるのだが、それでも基礎トレーニングの一つとして読んでいてもいいのではないだろうか。
「エース育成の新常識 「100人100様」のコーチング術」辻孟彦/ベースボール・マガジン社
今投手なら「とりあえず読んでおけ」と言ってもいい本の一つになる辻孟彦の新常識シリーズ。コーチとしてでなく選手としてプロまで行った実績と、コーチングとして修士まで取っているところから今持っておきたい知識のベースとなる書籍として出来上がっている。
二章には自伝的な要素もあり「なぜこう考えたのか」のアプローチにもなる。人間は「思考しろ」と言われてもアプローチがなければ中々難しいもの。
おおよそ2,000円ほどだが、読んで一年以上使うと考えれば安いもの。
その他多くの書籍があるが、この辺りからベースを作っていってくれると自分のスタイルにあったものが作っていけるのではなかろうか。
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