見出し画像

変わりゆく野球界 ~トレバー・バウアーを見ながら~

元DeNAバウアーは「日本に戻らない」 MLBオファーまで浪人生活か…米記者見解(full-count)

著者はシンシナティ・レッズのファンだったから彼がトレードの時にどういう言葉がSNSで投げかけられていたか、未だに記憶している。多くのファンが「所詮FAのための就職活動」と冷ややかな目で見ていた。
丁度その頃はマット・ケンプであったりヤシエル・プイグであったり球場の内外で話題になるトラブルメーカーばかりが入り、想像以上に活躍できずに終わったシーズンだった。
あの時は私も最初こそ喜んでいたものの結果として敗北を重ね、両者が全く活躍できなかった頃には冷たい目でレッズを見ていた記憶がある。最近こそ生きのいい若手が出てきたが過去は大型補強とは名ばかりのシーズン活躍できないベテランばかりがいつもチームにいる惨状で、出ていったアダム・デュバルはいつの間にかいなくなっており、冷たい目をしていた。

そこにクリーブランドからお騒がせ男がトレードでやってくるという。
丁度その男が降板が原因でボールを思い切りセンター方向に投げたことが話題になっていた頃だ。
「またトラブルメーカーかよ」
と思ったのは正直であった。

1,元々私はバウアーを快く思っていない

元々胡散臭い男という印象があったのは正直だ。
まだ2010年代の頃だったか。youtuberとして有名だった彼が日本の勉強会に参加するとかしないとかの話で記憶もあいまいなのだが何かしらで「日本で投げたい」と言っているのを覚えている。
この時点で私は結構訝しい気持ちになった。

原則的に現役メジャーリーガーの「日本でプレーしたい」というのは二択しかないと思っている。
まず一つは日本の野球に敬意を払って言っているパターン。もう一つは単純にリップサービスだ。ただ原則的にメジャーリーガーはメジャーリーグでプレーすることに一つ違った思い入れを持つから大抵はリップサービスだ。かのクレイトン・カーショウですら日本でやりたいといった。内野手として、と。この時点でリップサービスなのが分かる。
我々が日本のプロ野球を大切にするようにアメリカ人にとってメジャーリーグとは格別の世界であり、そこで生きるために切磋琢磨しているのだ。そこをわざわざ出ていきたいと思うのはいないだろう。

しかし、カーショウとバウアーには違いがある。カーショウはテレビ出演の際のリップサービス、いわば公共の関係だからこそのリップサービスであり、取材を行い、それをテレビで見る誰もが「来ないもの」と考えるようにできている。
しかしバウアーはそういった場所というよりはyoutubeなどであたかも真実のように話していた。「私もいつか日本で投げたい」という言葉は第三のメディアであるインターネットを介すると本当のように聞こえたらしい。多くの野球ファンが熱狂していた記憶がある。

私は大概そういう発言を聞いてきたし、そんなのを真に受ける方もいかがなものかと思っていたが、あたかも事実のように流布していた言葉に不信感を覚えるのは正直であった。相手を惑わすような発言の仕方はリップサービスの範疇を超えていると思わずにはいられない。
ジョークとして捉えられない思わせぶりな発言は心地よいものではない。
この頃から「胡散臭い男」として見ていた。

そんな選手がシンシナティ・レッズにやってきたのだから私も苦い顔をしていた。しかも特大のスキャンダルを持ってきて。
いい顔が出来るわけもなく、コロナ禍でサイヤング賞をとっても「どうせFAするんでしょ?」という言葉が霞めながら冷ややかな目で見ていたら案の定ロサンゼルス・ドジャースに行った。ひっそりとながら応援しているシンシナティ・レッズは見事に踏み台にされたわけだった。

だから彼が日本人死傷事件の軍人将校がアメリカに送還されたのを喜んでいる姿を見ていても
「まあ、君はそんなやつだもんな」
という気持ちの方が強かったりする。日本で投げていた時の多くのファンが彼に疑いの視線を向ける前からそういう視線を送っていたのだ。

だから正直、今彼がメジャーへ戻ることを模索している姿を見ていても、正直身から出た錆以上の言葉が出ない。彼は実力がないからメジャーのクラブチームに受け入れられないわけではない。彼を取るにはファンが一気にそっぽを向くリスキーさがあるから取らないのだ。
実際仮に2020年がコロナ禍でなかったらシンシナティ・レッズファンの胸中は穏やかではなかったかもしれないし、コロナ禍という野球どころではなかったからこそ波風が立たなかったようにすら思う。

それくらいシンシナティ・レッズにおけるトレバー・バウアーという存在はあまりいいものではなかった。

2,嫌われ者の淘汰されていく世界

しかしバウアーが今苦しんでいる姿を見て時代もだいぶ変わったものだなと思わずにはいられない。過去であれば多少の問題児であっても受け入れられていただろう。
それは日本をなめていたといわれるジョー・ペピトーンが1973年ヤクルトで活躍できず帰国後もシカゴ・カブスに入れたように、94年、95年と日本でお騒がせしたメル・ホールも96年サンフランシスコ・ジャイアンツに入団しているように。
結果として活躍できるか否かは別にしてもどこかしら受け入れ先みたいなものがあったはずなのだ。ケビン・ミッチェルも、ブラッド・ペニーも。

それが彼においては全くと言っていいほどない。
もしかしたら手を挙げるクラブも出てくるかもしれないがおおよそ最後の最後という感じになるだろう。下手をしたらアトランティックリーグ辺りで投げているかもしれない。

実力はあるのに嫌われたからチームに戻れない。

時代の変化が強く読み取れる。
これは彼の問題もさることながら彼がyoutuberをやっていることにも一端があるだろう。公的なメディアを通さず自分の言いたいことを発言できる場を作ると情報の倒錯が起きてしまい、チームの不和やファンへの疑念の感情を生むきっかけを生んでしまう。

過去このような例がなかったわけではない。
例えばヤンキースで投手として活躍したジム・バウトンが彼らメジャーリーガーの姿を描いた暴露本「ボールフォア」などがある。ホセ・カンセコの暴露本「禁断の肉体改造」がきっかけでMLBのステロイド疑惑に大きく発展したのは野球史を知る人には記憶に新しいだろう。ゲイロード・ペリーのMe and the spitterは……まあいいか。暴露本というか、暴露本だけど自伝というかなんというか。スピットボールを投げたか否かを売りにしてたのはペリーぐらいだし。

しかし基本的には彼らは引退後、もしくは現役から遠のいた後にこういった暴露本が生まれている。しかも禁断の肉体改造にはステロイド推奨の流れになるなど若干現実での影響とは違った流れになっているが。

しかしバウアーの場合は現役でありながら自分のものを、第三者への介入もなく発信できる状態にある。誰の責任も問えない情報が拡散される状況にあるのだ。ボールフォアを書いた時のバウトンが現役だったらたまったものではなかっただろう。チームや選手の名誉を思い切り傷つけるリスクがある。

好き勝手に情報を流す選手が好まれないのは日本でもデーブ大久保氏が巨人のキャンプを出禁になったことも含めて理解しやすい。
デーブ大久保氏は巨人・宮崎キャンプで「取材NG」を出されていた グラウンドに入れてもらえず20分で退散 本人は「僕がYouTuberだったからです」
身勝手に情報を出せる今の時代はやはり適当に情報を流す人ほど受け入れららないのだ。

ただ、それだけではないと私は思っている。
youtuberが嫌われているのなら上原浩治の雑談魂が巨人の取材に行くこともなかろうし川上憲伸カットボールチャンネルが社会人野球に指導に行く姿を撮影許可されるわけがないだろう。
もっとほかのところにあるのだ。

3,ホワイト社会と野球

ホワイト社会を生き延びろ!“いいひと”戦略 徹底解説 岡田斗司夫ゼミ

岡田斗司夫という男の発言がどれだけ信頼に値するかは別として私は岡田斗司夫のホワイト社会、というのは一定数信用に値する考察だと思っている。
SNSが発達した現在だからこそ今まで表にされなかった本人たちの本性が出てしまい、それを受け取る側も様々な受け取り方をしてしまうために「いい人」が生き延びていく、そんな社会への変貌が起きているというのは非常に得心の行くところであった。

間に合っているかどうかは別にせよ、SNSやブログでの暴言などは訴えられる時代になりつつあり、それによって過去匿名掲示板のような扱いをしていたSNSでの暴言を軽々しく行えない時代になってきた。
空っぽのおもちゃ箱と言われたインターネットがどんどん社会として変質している。

そう言う時代に入ったからこそ生き残り戦略というのが更にきめ細かくなっているのは私も感じるところである。炎上一つに関しても炎上が収まりきらない人の場合、その人の普段の態度や発言に問題あり、というような性質を持ち始めた。
最早野武士のような無頼の生き方を許されなくなってきた。まさに荒野の七人におけるガンマンたちアウトローがいつかはそのような生き方を出来なくなる「敗北者」になることを示唆して終わったようにだ。

バウアーに関してはこれに近いところがあると思われる。
DV訴訟問題もあったが、現在では不起訴となっているのになぜメジャーのクラブが彼に契約書類を渡すことに二の足を踏むのか。
それは彼の粗野な言動が積み重なった結果なのだ。
今「私は最高の投手だから最高の舞台で投げたい」と言い放っても、メジャーは彼を必要としていないのだ。言ってしまえば彼は「ホワイト社会のはみだしもの」だからだ。
言動をコントロールできずチーム不和を起こし、観客にも疑いの目を向けられるような選手はよほど理由でもない限り必要ない、というアメリカの姿がそこにあるのだ。

4,アメリカでも問題児は淘汰されるのだ

そういう意味では晩年のベーブ・ルースを思い出す。
彼は選手として引退後も野球関係の仕事をしたいと思っていたのは有名だ。
しかしながらその粗野な言動が人を導く立場には不向きとして誰も彼を呼ばなかったのも有名な話だ。
かの野球の神様ですら人格に問題ありと思われたときにはアメリカは彼に黄金の道を用意しなかった。野球以外の場面ではとことんだらしない彼に待っていたのはアメリカの冷たい視線でしかなかったのだ。

そんな彼も自分の名誉回復を謳った日本遠征を得て1938年にブルックリン・ドジャースの一塁コーチになっているが一年で辞退。結局それ以降野球の神様は野球の仕事をすることなく終わった。

今のバウアーを見ているとそんなことを思い出される。
そうでなくてもホワイト社会と言われるほど人とメディアの在り方が求められる時代、粗野な言動を繰り返し、止めることなく今日まで来てしまった彼を受け入れる場所はあるのだろうか。

残念ながらもう日本には来てくれそうもない。
シンシナティ・レッズを足蹴にしたように、彼はメジャーへの禊のために日本球界を足蹴にして去っていった。メジャーに戻るための就活のために。

多少私の認知バイアスがかかっているにしても、彼の前途が明るいとは到底思えない。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?