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新人看護師だった頃を振り返る2000年

2000年3月に看護専門学校を卒業、無事に看護師国家試験合格した私は、4月から総合病院に就職しました。

思い起こせば、2000年問題やら、多発同時テロやらでインパクトの強い年でした。

それはさておき、
新人看護師として手術室に配属され働き出した私は、もちろん看護学生だった頃の病棟実習経験などほぼ役に立たない、まさしく汗と血と肉と涙にまみれたOJTの連続に、ドキドキの毎日でした。
また入社早々から、日勤終了後に月4のペースで、ぶっ続けで夜間の救急外来看護師も兼任してました。
つまり、色々と真っ黒な環境というか、若いからやれたんだなぁとつくづく思いました。

楽しい先輩達に囲まれ可愛がられた私は、業務終了後には喫茶店に入り浸りタバコ漬けの日々。
グチをアテにコーヒーを飲みまくる生産性のない時間を過ごしてました。

そんな私に早速 神から最初の試練をいただきました。
入社わずか1ヶ月で急性扁桃炎が発症し、ドクターストップを受け入院。
熱冷ましと喉の痛み緩和を目的に坐薬を多用し、その後の生活に見事『坐薬は友達』とあいなりました。

さらなる試練。
まだ若く生意気だった私は、師長との対立もあり看護部長に何度か呼び出されました。
ただ、看護部長とは元々面識があり、楽しいティータイムに様変わり。
私に反省の色はなく、絶妙な看護部長との関係性に嫌気がさしたのか、その後しばらくして師長が依願退職したことは言うまでもありません。
師長さん見てますか?私のせいですよね?
すみませんでした。

そんな私ですが、新人看護師としてプロになった以上、現場や患者さんの前では真剣に謙虚に向き合いました。
手術は患者さんにとって人生のターニングポイントと成り得る事柄です。希望を持って無事に社会復帰できるように私なりに努めていました。

また、社会人の先輩である父母への感謝の気持ちが強くありました。
現場のシビアさや人間関係に疲弊しながら、お金を頂くという大変さを体感した私。
父母に『お仕事頑張ってきてくれてありがとう』と心の底から伝えた2000年4月25日、忘れられません。

今回のエピソードトークどうでしたか?
2000年の私を振り返ってみて、
①先輩・上司に恵まれてた
②職場環境がメンタルを強くしてくれた
③扁桃炎は辛かった
④父母には感謝しかない
⑤看護師って患者さんから沢山学んでプロにさせてもらえる生き物
⑥師長さんごめんなさい
の6点にまとまりました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。乱文・長文で読みにくかったこと謝ります。
不定期ですが、また私の看護師人生を発信していきたいと思います。
読まれてる方の何かのお役に立てれば幸いです。

サンダンバラ



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