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幸せへの道しるべ

自分の人生を一言で表すなら、私は挑戦だと答えます。
44年間1型糖尿病と共に歩み、その内の34年を看護師として歩んできました。
思い返せば、決して楽とは言えない人生でした。

私が1型糖尿病を発症したのは11歳の時でした。
当時の医療では小児糖尿病を詳しく知る医師が少なく、年1回の定期検査で良いと言われていました。
事態が大きく変わったのは13歳を迎えた日でした。
空腹時血糖値が1000を超え、担当医師は母と私に「申し訳ないこのまますぐこの手紙を持って○○病院に行ってください。」と
その時は自分に何が起こったのか分からず、分かったのはこの先一生私は私に注射を打って生きていかなければならないと言う事だけでした。
この頃は、ガラスの注射器で、単位をccに変換し打っていました。

17歳の夏、小児糖尿病患者向けのサマーキャンプに参加しました。
参加者は、透析をしている人、失明している人。年上の人ばかりでした。
人生を諦めたような眼差しで話すその人達の輪に私も入るのかと思うと、絶望しました。
「私はこの先、夢すら持てないのだろうか?」
そう考えると、すぐにでも帰りたくなりました。

そんな時、目の前の小さな子が私よりも小さな手に注射器を一生懸命握り締め、泣きそうな顔でお腹に針を刺していました。その姿に、私は自分の無力さを痛感せざるを得ませんでした。

「こんな小さな子にも私と同じ思いをさせるのか、糖尿病患者は皆我慢しながら生きていかなければならないのか。
いや、そうじゃない。」

誰もやらないなら私がやろう。やって出来ると言う事を見せれば何か変わるかもしれない。
そう思った私は、得意ではない勉強を必死にやりました。そして働きながら准看護師の資格を取り、糖尿病専門医の下で働き始めました。

自分自身の呪縛

25歳で結婚し、新たな生活が始まりました。どうしても子供が欲しかった私は二度の流産を経験後、28歳で長女を出産。医師に止められながらも31歳で次女、33歳で長男を出産する事が出来ました。30代は子育てと仕事ばかりで殆ど記憶にありません。目まぐるしく進む人生の中で、ふと自分が自分でないように思いました。

取りたいと思っていた看護師資格、家事や育児に追われ月日だけが過ぎていく。
妻であり母であり嫁でなければならない、これは一体誰の為の人生なのか、私は私でいたい。それは駄目な事なのか。いや、人生は選択できるはずだ。
そして、私は47歳でもう一度勉強を始め、看護師の資格を取得しました。

決して楽とは言えない人生。しかし自分で選択し進んだ道に悔いはありません。
「どれだけ失敗してもその失敗から多くを学ぶことが出来る。挑戦し続ける事が出来る…」

~この記事を書いたのは~

上岡美香(うえおかみか) 
ペンネーム:チョア

1966年生まれ、福岡県北九州市出身
看護師歴 34年 1型糖尿病歴 44年
糖尿病患者の療養指導、日常生活でのセルフケア指導、看護学校での講師
糖尿病についての院内新人研修・学習講師などをメインに従事。
現在、糖尿病専門外来・整形外科・耳鼻咽喉科・眼科を担当。
これからの夢は、44年1型糖尿病患者として34年の看護師経験で得た知識を少しでも多くの人に伝えたい。


ナースライフバランスでは、 SNSを活用したオンラインサロン、各種イベント、情報など通して 看護師としてのいろんな働き方やプライベートを充実させるための情報や活動を通して1人でも多くの看護師が「自分らしさを」大切に、 自由で面白いナースライフを過ごせる世の中を目指します。