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藤井貴弘さん/御霊神社・宮司

三人兄弟の末っ子

―お生まれは?
ここ、御霊神社で生まれました。3人兄弟なんですけどね。姉がいて、そのあと一つ上に兄がいるんです。私は一番下になる。父親にしたら、姉が一人っ子みたいな感じで、ずっと離れて、男の子がポンポンと2人できた。跡取りっていうか、兄が生まれたときはすごい喜んでたそうですよ。外から聞きますね、本人は言わないですけど。椿井神社の例祭に父親がお参りに行ってるときに「子供が生まれました」という連絡が来て慌てて帰った、なんていうのを氏子さんから聞きました。そんなぐらい、やっぱ待ちどおしかったんやと思うんです。
―子供の頃はどんな感じでしたか?
子供のときから、僕らにしたら神社に生まれてそこが家っていう不思議な状態で。小さい頃は不思議ではなかったんですけど、だんだん、やっぱ小学校ぐらいとかになってくると「藤井くんの家は御霊神社でね」と、なんやかんやっていろいろ何か興味持たれるというか。そのときは嫌やったんです。
―学生時代は少し照れくさいですかね
なんかやっぱりね、僕らにしたら何か冷やかされてる感覚があって。
でもね、今うち娘2人いるんですけど、上の姉ちゃんは幼稚園に通っていて、今んところ「うちのお父さん、神主さんでよかった!」って言ってくれてるんです。女の子は優しい。気遣ってくれてるのかわかんないですけど。今のところそんな風に思っていてくれるんだなと。
―そうやって思ってくれるのは嬉しいですね。

神主修行とカプリチョーザ

―成長していくと将来の話になりますよね?
そうですね。もともと、御霊神社と崇道天皇社と、維持管理してたのが2社ありました。当時は、祖父は崇道天皇社の神主、父は御霊神社の神主だった。子供の頃からそのことは知っていましたが、実際ある程度の年齢になってきたら「これはどっちか継がないといけないんだ」となってきました。
―実際に動き始めたのは?
大学生の時に親から「資格免許を取れ」と。今すぐせいっていうわけじゃないけど、大学生だと時間も取れるので。それで、京都の神社本教というところへ資格を取りに行きました。そのときも自分としては、神職はいつするのかわからへんけど資格取っとくか、ぐらいの感じだったんですけどね。
―神職専門の大学に通われてたんですか?
僕はね、一般大学の経済学部へ通っていました。神社本教へ行ったのは、この神社が神社本教の所属になってるんで、そこで講習会があるというので行きました。
―講習会ではどんなことを学ぶのでしょうか?
祭祀とか祝詞とかいろんな科目があって。神さまの前でお勤めする、その祭祀作法であったり、もちろん神社の歴史とかそういうのも初めにありますけども、そういうのを勉強しました。
―免許を取って、大学を卒業した後はどうされたんですか?
大学卒業した後、祖父のとこ(崇道天皇社)で神主の見習いみたいなことはしてたんです。けど、その当時80歳ぐらいの祖父で、僕が22、3歳です。生活の違いはありました。住み込みで見習いするっていう形だったんで、食事も一緒。祖父とは食べるものも全然違うけど、でもあそこにいたらそれを食べなきゃいけないっていう感じで。
出張祭典といって地鎮祭などの依頼があったら、祖父は車の免許持ってなかったんで私が送っていって横で見てる。そんなことを1年ぐらいしてました。
―神主デビューはいつだったんでしょう?
昔、カプリチョーザがあって、そこの開店のお祓いです。
―チェーン店でもお祓いするんですね!
ありますあります。
お店に行って祭壇を組んで、そこで神さまにお店の繁栄を祈願するんです。
そのカプリチョーザ行ったときが、神主として初めてやったと思うんです。初めのお祓いの儀式だけは僕がして、後は祖父が奉仕しました。そしたら祖父は「カプリチョーザさんは今日開店祝いですが、うちの孫も今日から神主の開店です!」と。嬉しかったんでしょうね。

一般企業へ就職、そして神主へ

―そのあとすぐに神主に?
そういう感じで1年間いろいろ教えてもらったんですけど、やっぱりね、まだ神職になるぞって決意があったわけじゃなくて。やっぱり何か違う、自分のしたいことって何だろうと、まだそのときは迷ってるんですよ。一般の大学に行ってるっていうのもそういうことで。神道の学校には行かなかった。
そこへ行ってしまうと、絶対神主にならなきゃいけないようで。
普通の会社に就職したいっていう自分の思いもあったんで、一度就職をしました。
―どんな会社に就職したんですか?
僕、子供ときから、魚を飼うのが好きで。そういうところから生物調査の会社に入りました。例えばここへ橋を建てますというときに、その場所はどういう生物がいるのかという調査して、そこに特別な種類の生物がいるんやったらここはやめましょうとか。そういう仕事をしたいなと。
―それでも神社へ戻ってくるんですよね?
そんな仕事をしてたんですけども、祖父が亡くなる1年前ぐらいからちょっと体調崩して、これ以上神主ができないっていうことで、僕にお声がかかりました。それが28歳ぐらいかな。
祖父の後はうちの兄が崇道天皇社を継いで、私は父親と一緒に御霊神社で神主をやり始めました。


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