日記:睡魔と映画の日

なんだかとても眠い。昨夜は2時半頃に寝て、起きたのが9時半頃。それから適当にスマホを弄りながら過ごして12時過ぎに昼食を摂ったものの、その後眠くなって1時間ほど午睡に落ちてしまった。早めの夕食の後、映画を見るため外出して、帰ってきて少しぼんやりとしていたら日付が変わってしまったが、この時点でだいぶ眠い。いつもなら日記を書き始める0時前後はもう少し意識がはっきりとしているのだけれど。今日はもう、このまま眠りに落ちてしまいそうなほどに眠い。外出したから疲れているのだろうか。

思えば休日に眠くなってしまうことは多い気がする。平日は朝こそ布団から身体をひっぺがすのに苦労するものの、起きてしまえば日中に睡魔がやってくるということはない。対して、休日は仕事がないことをいいことに惰眠を貪り、午後になると眠気に襲われ、気づいたら外が暗くなってしまっているということが殆どである。今日は9時半と土曜日にしてはそれなりに早い時間で目を覚ましたものの、普段はもう少し時計の針が進んでからようやく体を起こす決意をする。それにしたって、昼食後は昼寝をしたくなってしまう。

平日と休日で違う生活リズムが根付いてしまうということはあるのだろうか。もし自分の体が、休日は多く睡眠をとるものと認識しているのであれば、土日に普段よりも眠気が強いことにも納得がいく。しかし平日も6時間は寝ている自分にとって、休日により強い睡眠の要請が働くとは考え難い。単なる意識の差だろうか。そうなると、休日の身体を目覚めさせるための意識づけが必要なのだけれど、それはなんだろう。出かける予定を入れたとしても、今日のように眠くなってしまうことには変わりない。

眠ることは好きなので多く寝てしまうことを悪いと思っているわけではないのだけれど、休日の活動時間を延長しうる施策を取ることができるのならばそうしていきたい。なにかあるかな……。



「映画大好きポンポさん」を見てきました。めっちゃ面白かった……。

「映画の映画」とか「漫画の漫画」とか「小説の小説」とか、その表現されるメディアそのものを真っ向から題材にとった作品が観客から求められる水準は、他の題材よりも高い位置にあるように思える。映画を観にきた相手に「映画とは何か」という究極の問いを投げかけ、それに対する結末を用意しなければならないからだ。この作品も原作は漫画だけれど、劇場作品になることで付与される文脈が他のテーマよりも多い。単なるメディアミックスに留まらない、映画であることの意味を求められる。そしてこの映画は、その要求に真っ向から答えを返してきたように思える。

作中に登場する映画との関係性が、現実の観客である自分に対しても拡張されて届いてくる。映画の作り手が映画に何を見るのか。どのような思いが観客に対して向けられているのか。作中に登場するそれらの問いは、そのまま映画を観ている自分にも突き刺さるものだ。その映画に対する情動が、自分が映画を見る際の精神の運動の中に確かにあったということが浮き彫りにされる。自分が映画に対して抱いている感情が、形を成して出力される。話としては映画の作り手の物語ではあるのだけれど、作中で映画の監督を務めたジーンが、映画に対してどのような思いで向き合っているのかという問い、そして観客にどのようなものを届けたいのかという答えは、そのまま観客としての自分が頷いてしまうような言葉だと思えた。関わる様々な人物の葛藤や、作中作の映画とも連動して動いていくストーリーは、映画に対するさまざまな感情の機微を拾い上げ、「映画」そのものに対する巨大な感情の動きの総体として回収していくような力強さがある。

要するに、とても面白かったということです……。

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