死にたい自殺したいでも苦しみたくない安楽死させて…お願いします…

苦しい死に方しかないから死なないという結論に達したが、やっぱり、寿命や病気で死ぬまで待てなさそうだ。騙し騙し生きるには人生が長すぎる。

笑うことはもちろんあるけど、面白いなって思う時間より死にたいとかこの世から逃げたいという気持ちの方が長い。

苦しまないで死ぬ方法はないものか。

首吊りはだめだ。
家の中でしたら事故物件になってしまうし、外でして遺体を見た人がPTSD発症したら大変だし、失敗して半身不随とか自分で呼吸もできない状態とか食べたり寝返りも打てない状態になったら今より確実に苦しんでしまうから。

お酒で…とも考えたことがある。
でもお酒が好きじゃない。吐いてしまうし。

飛び込み、飛び降りは人への迷惑を考えるとできない。

この自殺は計画的に進めないといけない。
衝動的にするものではない。
死にたいと長い時間思ってきて、生きるか死ぬか悩みに悩んだ挙句やはり死ぬべきだという結論に達したので死ぬのだ。

生きていて死ななければならないとか、死のうと思っていて何を頑張れるのだろう。逆かな、頑張れなくなったから死にたいんだろうか。どっちにしても私には常に希死念慮がつきまとう。

餓死はどうなんだろう。
エネルギーが枯渇して死ぬ。
死にたいのなら生命活動を衰退させなければならない。だから食べない。理にかなった死に方だなあと思う。

自殺方法として餓死を選択しているが、食べてしまうのは私が死にたくないからなのだろうか。
目の前の欲に囚われてこの世からいつまでたっても離れられない。

死にたい。何もかもが面倒だから。
死にたい。何も楽しくない。
死にたい。もう何も頑張れない。

どれだけ自分怠惰なんだ…と余計嫌になる
本当に本当に死にたい。


人間は生きるように設計されていて、死ぬためにはどうしたって苦しみがつきものなんだろうなと思う。年老いれば必ず死ぬ。私たちは苦しみに向かって生きている。なぜ産むのだろう。

この世に新たな生命を誕生させる人たちは本当に一度も苦しいとかしんどいとか悲しいとかネガティブな感情を感じたことがないのだろうか。

もし感じたことがないのなら、感情があり100年ほど生きる生命をこの世に生み出そうとする気持ちも理解したいと思う。

でもネガティブな感情をこれまでの人生で感じたことのない人はいるだろうか?大なり小なりあるんじゃないか。

その苦しみを自分たちの一方的な欲求によって生み出した人間に味わわせることになると考えないのだろうか。


成人まで育てきれば一人前という風潮があるが、人生100年時代と言われているうちのたった20年だけ関わって後の80年は自分でなんとかしなさいはあんまりじゃないか。

もし仮に生まれてきた人間が幸せしか感じない人生を送ったとしても死によって苦しみを味わうことになる。苦しみから逃れることはできない。


赤ん坊はかわいいかもしれない。自分より非力な存在だから。

でも高齢者を見て、かわいい!欲しい!となるだろうか。人間は赤ん坊から高齢者になるけど、赤ん坊を見てかわいい欲しいと思うんじゃないだろうか。


この世に感情があり、100年ほどいきる命を生もうとしていることをもう少し想像して欲しい。

この世に存在しないままであれば苦しみを感じることもない。無でいられる。

生まれてからは苦しみの存在しない世界にはいけない。死ぬことにも必ず苦しみが生じてしまう。



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