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プリンぽんのつれづれ 24’03’06

 改めてぼーとする時間を考えてみる。
 毎回毎回くだらない創作に対して(発想力)のぼやきばかりなのだが、今一度真剣に向き合ってみる。
 現代人はとかく隙間時間を埋めたがる。電車では携帯で音楽聴いたり、本を読んだり、ニュースなので知識を得ようとする。一番最悪なのはゲームだろう。何時間も拘束されている場合などは重宝してある意味、脳の活性化にも繋がりそうだがやはり危険なのはその中毒性と脳の麻痺。これが過剰になると――倍速で視聴しないと落ち着かない。ゆったりとしたドラマが見ていられない――そのような状態に脳が変質してしまうのではないだろうか?
 いやえらそうに言ってるけど、もはや自分自身がそんな状態で、創作におけるパフォーマンスが著しく落ちてしまっているのではないかと危惧して恐ろしくなっているのである。

 実際に研究ではぼーとした時間にこそトータルの脳の活性化はあがり、一部分では脳全体をもみほぐすかのように脳波がじわじわ動き回るそうだ。
 だったら瞑想やマインドフルネスを取り入れてみれば? とよくアドバイスを受ける。だが、幼い頃ぼーと雲を見続けてその形を知らぬ間に何かに置き換えたり、はたまたそれとはまったく関係のない妄想(その内容にさえ意味をなさない)すなわちあのぼ~~~~~(笑)と瞑想などは同一のものなのだろうか。俺自身はそれは似て非なるものではないかと体感している。
(瞑想やマインドフルネスを取り入れるのはやってみる価値ありですけど)

 ぼー~~を取り戻す。自分を取り戻す。そんなのが必要なんではなかろうか。
 それは積極的なアプローチではなく、何かを成すための何かではなく、ぼーーとするぼーーであり、ぼーーなのであるw だけどそれって結構難しかったりする。
 俺は田舎住みなので都会の交通渋滞では不可能だろうが2時間ほどなにも考えないで運転するときがある。(いや危なくはないよw 最低限脳は働いてるから)そんなときは子供の頃のぼーに一番近いように感じている。そして他のことではなかなかその状態にすることが出来ない。何かしちゃう。

 大人になってから意識的にぼーとすることは(だから何かのために積極的にやるんじゃないんだってば)案外、難問なのかも。

 う~ん、またとりとめのない話ですみません。とりあえずはまあ、意識的にインプットする時間と何もしない時間を分けてメリハリをつけ、追い立てられるように隙間時間を埋めることを止めてみようかなと思います。

 誰かなにかご意見や方法等々、ありましたら教えてください。

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