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子ネコのイヤリング

気が付いたら、4月も半ばに差し掛かって参りますが、先週は近くの小学校に入学式らしき人だかりがございました。
自分には関係のないこととはいえ、新しい生活が始まった方々の初々しさや華やかさを肌で感じました。

私は、入学式や卒業式、冠婚葬祭などのフォーマルな装いが、子供の頃大好きでございました。
人によってはあまり言われて嬉しくない言い方かもしれないのですが、私服と違い、「みんな同じような恰好」をしているというのが、とても素敵だなと思っておりました。

正装は誰が着ても似合うように作られているような気がしていて、誰が着てもおかしく見えない上に、みんながいつもよりカッコよく見えて、晴れ着という言葉に相応しい、クラスのみんなや親や先生たちの晴れやかな姿を見るのが私は好きでございました。

子供の頃、ファッションに疎かった私は、母の買ってきた洋服をただただ着て、小さくなったら妹にあげて、また新しく母が買ってきたものをそのまま着るという、何のこだわりのない生活を送っておりました。
私や妹はファッションにあまり関心がなく、洋服も靴も、全部母が用意したものや、母が買ってきたものの中から適当に選んで着ておりましたが、兄は兄妹の中では一番のおしゃれさんで、母が買ってくるものは早々に着なくなって自分で好きな服を買いによく出かけておりました。

母は、私たち兄妹が小さい頃から「子供のうちは子供らしい服を」という方針がありまして、割と子供っぽい服をたくさん買ってくる傾向にありました。
ワカメちゃんが着ているような短いスカートとか、動物さんが大きく描いてあるポップな色のトレーナーとか、女の子らしい大きなフリフリとかキラキラがついた少し恥ずかしくなる靴とか、子供っぽさあふれるものをいつも買ってきて、小学生時代はほとんどそれを着ておりました。

ある時、ふとクラスメイトの女の子たちの服装がとても大人びていることにハッとしました。
私は初めて自分で洋服を買おうと思い、母と一緒に子供服売り場を見にいくと、子供の服なのに、大人と同じような形の大人っぽい服や靴が売っていて、生まれて初めて大人っぽさへの憧れと、ファッションへの興味が湧いた瞬間でございました。

母は「最近の子供はこんな大人っぽい服を着るのね」と関心しながらも、「大人になったら自然と大人っぽい服を着ることになるのだから、今しか着れない子供っぽくて可愛い服を今は着なさい」とよく言っておりました。

大人っぽさに目覚めてしまった私は、子供っぽい服を着るのが恥ずかしくなってしまい、いつしか母が買ってきた服を着ることは無くなってしまいました。
親には親の気持ちがあり、自分が親にしてもらったことを子供にもしてあげようという思いがあったり、自分がしてもらえなかったことを自分の子供にはしてあげたいという思いがあったり、自分が出来なかったことを子供にはやり遂げてもらいたかったり、親にはそれぞれの思いがあるように思いますが、子供はいつだって自由奔放で勝手に生きていくものだったりするのかもしれません。

子供の頃にしか着れない服というのも確かにあって、いわゆる子供らしい子供たちもたくさんいると思うのですが、大人に憧れたり、少し背伸びをしながら生きている子供たちもたくさんいて、それはとても自然なことのようにも思います。
昔は違ったのかもしれませんが、少なくとも今は大人になってから子供っぽい服を着ても別におかしくはありませんし、着たい服をいつでも着ることができる時代だと感じるのは、多様性の影響なのでしょうか。

大人っぽさに目覚めたと言っても、私は正直なところ、地味めな洋服が今でも好みでございます。
特に何の変哲もない、どこにでも売ってそうで、誰が着ても似合うようなシンプルで無難な洋服がやはり好きなのですが、そんな私がアクセサリーを作るようになって、私が作りたいと思うアクセサリーは、子供っぽさがあって、可愛らしいものばかりだと、ふと気付きました。

刺繍が好きだというのもあるのですが、図案はいつも、大人っぽいというよりは、子供っぽさ全開で、母が子供の頃の私に身に付けさせたいと思うような、そんなアクセサリーだったりするのかもしれません。

子ネコの図案を描いているときから、完成がずっと待ち遠しくて、何度も色の調整をしましたが、ほぼ想像していたようなものが無事出来上がって、とても嬉しい気持ちでいっぱいでございます。
でも、大人っぽい服や雰囲気を大事に日夜コーディネートされている方の目には留まらない品だろうと感じておりますし、正直なところ、私にとっては、気恥ずかしくて着ることができなかった子供の頃の服を思い出させる、そんなアクセサリーでもあります。

子供の頃は、恥ずかしかったけど、今頃になって、子供っぽさも含めて可愛いと思えるようになったからこそ、作ったものでございます。

私が作るアクセサリーは、みんなが付けたいと思うようなものではないかもしれませんが、「きっと似合う人がいる」と信じております。
私のように、自分には似合わないかもしれないと思っていても、これを着けて一段と可愛くなれる人は、どこかにいると思っております。
その人は、作成者である私にとっては、特別な人で、そんな人のために、また新しい作品を作って参りたいと思います。

大人になって思うことでございますが、いつまでも若々しく、遊び心があって、子供っぽい可愛らしさを持っている人は、素敵だと思います。
子ネコのイヤリングが、その人の魅力や個性に、「可愛らしさ」や「子供っぽさ」をプラスさせる肯定的な物になってほしいという思いもあったり、自分にはこういう物が似合うなと感じた方がいらっしゃいましたら、それは他の人にはないあなただけの魅力があるということでもありますから、それは貴重なものだと知ってほしいし、ずっと失わないでほしいなとも思っております。

大勢の人のために同じものをたくさん作るというのも、とても大変なことでございますが、数少ない似合う人たちのために、特別な物を作れるというのも、ハンドメイドの醍醐味なのだと思います。
私は、自分が今着けたいと思うアクサセリーを作るよりも、将来の自分が着けていてほしい物や、いつかこれが似合う自分になれるようなアクセサリーを作りたいと思っているような気がしております。

読んでくださってありがとうございました。
まだまだ商品は少ないのですが、ぜひお店も眺めてみてください。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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