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マリアの賛歌【待降節】【ルカ1:39-56】【やさしい聖書のお話】

2022年12月18日、待降節(アドベント)第4日曜日の聖書のお話です。

光の祭り「ハヌカ」

例年はアドベントの4回目の日曜日がクリスマス直前の日曜日になるので、千葉バプテスト教会ではアドベント第4日曜日にクリスマス礼拝をおこなっています。
でも今年は12月25日が日曜日なので、今日はアドベント第4日曜日の礼拝、来週がクリスマス礼拝です。メリー・クリスマスの挨拶は来週にとっておくことにしましょう。

今日の挨拶は、ハッピー・ハヌカ!です。ユダヤでは今日から、光の祭り「ハヌカ」が始まります。

イエス様が生まれるより160年くらい前のことです。
当時ユダヤを征服していたシリア(セレウコス朝)のアンティオコス4世が、エルサレム神殿に神々の像を持ち込ませ、偶像礼拝を強制しました。
ただでさえシリアに苦しめられていたユダヤの人々は、主の神殿をけがされたことで、祭司マタティアとその息子たちが立ち上がります。そして息子の一人ユダ・マカバイを中心に苦しい戦争を戦い抜き、紀元前164年に敵をエルサレムから追い出すことができました。

讃美歌「喜べや たたえよや」のメロディが表彰式でもよく使われますが、この曲はヘンデルが英雄ユダ・マカバイを主人公に作曲したオラトリオ「ユダ・マカベウス」の中の「見よ、勇者は帰る」という曲なんです。まさに表彰式にぴったりですよね。
イスラエルのビール「マカビー Maccabee」もユダ・マカバイにちなんだもので、私が日本人の真壁さんとイスラエルに行ったときは「Makabeだって?Maccabeeみたいだ!」て盛り上がりました。

イスラエルで愛されているビール「マカビー」はユダ・マカバイにちなんだもの。

ところで、ユダヤ人がエルサレム神殿をシリアから取り戻したとき、神殿の灯りに使うための油が足りないことがわかりました。神殿用の純粋な油を精製するには一週間かかるのに、一日分しかなかったのです。
ところが、このたった一日分の油が八日間も燃え続けたという奇跡がおこりました。その間に油を用意することができ、この奇跡は主の神殿を取り戻したことを象徴するものとなりました。

こうしたことを記念するのがハヌカ祭です。ヨハネによる福音書10:22の「神殿奉献記念祭」はハヌカ祭のことで、偶像を持ち込んでけがされた主の神殿を取り戻して清めたことから新改訳聖書では「宮きよめの祭り」と訳しています。

下の画像は、イスラエルの著名な女流画家ミハル・メロンの作品による画集「ユダヤ教の祝祭日」の、ハヌカのページです。イスラエルの紋章である7本枝の燭台(メノラー)とは違う、ハヌカ専用の9本枝の燭台(ハヌキヤ)が描かれていますが、八日間を表す8本+点火用のロウソクのための1本となっています。

画集「ユダヤ教の祝祭日」より、ハヌカのページ。のぶおリーダーがイスラエルを旅行中、日本語の絵本を売ってたので思わず買ったもの。

ぼくたちにとっては、「まことの光」である救い主がこの世に来たことをお祝いするクリスマスこそ、光の祭りですね。
クリスマスというものが元々は異教の太陽神の祭りだったのだけど、キリスト教はそれを、太陽を創造した神であり「まことの光」であるキリストを記念するクリスマスに変えたのです。

マリアの歌

先週のお話は、マリアが天使ガブリエルからお告げを受けた、受胎告知の場面でした。自分が救い主を生むことを知ったマリアは、親戚のエリサベトに会いに行きます。

そうしたら、マリアの挨拶を聞いたエリサベトのおなかの赤ちゃんが、エリサベトのおなかの中で踊ったんだって。エリサベトの赤ちゃんは、のちの洗礼者ヨハネです。
ぼくの奥さんがおなかに赤ちゃんがいたとき触らせてもらったけど、内側からポコッポコッて蹴るのね。でも洗礼者ヨハネはおかあさんエリサベトのおなかの中で踊ったんだ。ヨハネは、自分の後から来る救い主がマリアのおなかにいるのがわかったんだろうな。

エリサベトはマリアを「わたしの主のおかあさま」と呼んで歓迎します。
そいてエリサベトが「神である主が告げたことは必ずそのとおりになると信じた人は、なんて幸せでしょう」と言ったのだけど、これに答えたマリアの言葉は「マリアの賛歌」と呼ばれます。聖書の中で女性が歌った賛美では一番有名。もしかしたら世界で一番有名な、女性が歌った歌かもしれません。
たとえばそれは、新生讃美歌151「わが心は あまつ神を」となっています。元の題名はMary's song、マリアの歌、です。

わが心は、あまつ神、天の神を、尊み
わがたましい、すくいぬしを、よろこぶ
かずになたらぬ、わがみなれど、見捨てず
今よりのち よろずよまで、
めぐみたもううれしさ

新生讃美歌151「わが心は あまつ神を」1番の歌詞

新共同訳聖書では、「身分の低い、このはしためにも、目を留めてくださったから」と訳しています。「はしため」というのは「端っこの女」のことで、召使の中でももっと身分の低い、ド底辺の女という意味です。
明治から昭和にかけて使われた古い訳では、女へんに卑しいと書く婢という字を使っていましたが、この字だと女召使というだけでなく女奴隷という意味もあります。

その婢女の卑しきをも顧み給へばなり。
(そのはしためのいやしきをもかえりみたまえばなり)

文語訳聖書のルカ1:48

それで讃美歌のほうでも、聖書のマリアの言葉をそのまま使って「はしため」という言葉になっていて、マリアの心を表してたんです。
まあ、讃美歌の歌詞としてはね、特に女性ががこの歌詞を歌うと、自分のことをはしたためと言わなきゃいけないのは不快だということになって「我が身なれど」に変更されたのだけどね。
マリアは、自分は主のはしため、もっとも身分の低い端っこにいる女召使として主の言葉に従います、という気持ちを歌ったんですね。

人間は最初はエデンで、神様である主と共に生きていました。けれど罪を知ってしまった人間は、いと高き神、とても高いところにおられる神から離れてしまった。だから旧約聖書の時代の人々は、主に会ってしまったと知るともうパニックです。自分はもう死ぬんだ、いや、滅びるんだ、って。
だからマリアも、自分は主のはしためだと告白した。

でも神様である主が人間となって、イエス様になって、私たちの所に来てくれた。
そしてイエス様は、「あなたがたをしもべ、奴隷とは呼ばない。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と言ってくれている。

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

ヨハネ福音書15:15(新共同訳)

罪のために主のしもべ、主のはしためになっていたぼくたちを、いと高き神である主が取り戻してくれた、そのためにイエス様はクリスマスの夜にやってきてくださったのです。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2022年12月18日、アドベント第4日曜日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。

動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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