私が絵画に出会ったのは
前に書いたように、私の父は子どもたちに本を時々買ってくれた。今になって父を思うと、時代に人生をズタズタにされたような人だった。それなのに借家暮らしの6人家族を必死になって養いながら、家に画集を毎月配本するよう契約してくれたりした。(子どもにしたら、突然本が来るわけで)
私は母からの、また聞きなので、本当のところはよくわからないが、父は、子が産めないからと3回も妻を取り替えた自分の父親に、論語の素読をさせられて育ったという。(いつの時代なんだか)どんな名家なんだよ、と私もいつもフシギな気分になるけれど、どう考えてもそんな家ではない。地方の下っ端の記録にも残らない名もない家だったから。それでも父は本の楽しみというものを、自分と同じように子どもにも与えようと思って、そうしていたのかもしれない。
そういうわけで、テレビもない退屈な子供時代に、毎月カラーの画集がいきなり届くと、本を開くのが楽しみになった。なんの知識もない子どもだったので、ただ毎月ふーんと眺めた。はじめは写真みたいなきれいな「アングル」のような具象画がお気に入りだったが、次第にそれも飽きてきた。
学校の教科書が年度始めに配られると、美術の教科書や副読本を開けて見るのが楽しみだった。まだカラーページが少なくて、美術なのに白黒が多かった。「ルドン」の花と花瓶を描いたカラーの作品が載っていて、きれいだなあ、ルドンっていうんだ、と覚えた。
我が家に配本されたルドンの画集を楽しみにして開けて見ると、1つ目小僧が丘の上から覗き見している奇妙な絵がたくさんあって、いやーこんな絵を描く人だったのか、とあきれてしまった。アングルの「グランド・オダリスク」という裸婦の後ろ姿を長い背中で描いた絵があるが、腰のあたりがウヤムヤになっているところが気になり始めた。後で調べると脊椎を実際より多く描いたらしい。
私がとっても気に入ってよく眺めたのは、「ダリ」の「茹でた隠元豆のある柔らかい構造」という長い名前の作品だった。苦渋に満ちた表情をしている頭部を掴んでいる、腕の骨格の上に青い空が不気味に広がっている絵画だ。後でこれはスペイン内乱の予感を描いた作品だということを知る。(子どもはそんな難しいことは知らない)
画集をとってもらって良かったのは、予備知識のない真っ白い頭で、ただ「いいなあ」とか「へんだなあ」とかそういう気分でページを繰って、眺めているだけで楽しかった、ということだ。だから現在名画と言われる「ダ・ビンチ」とか「セザンヌ」とか「ゴッホ」とかそういう価値の高い(値段も)ものを、優先的に贔屓目にして眺めたりしなかった。
だんだんと時代が現在に近づいて「モンドリアン」や「クレー」が配本されると、「カンディンスキー」などのような、色や形を自由に描く絵画に興味をもった。子ども時代の画集はせいぜいそこ止まりだったけれど、大人になってからは、公民館講座などで、現代美術の解説連続講座に参加したり、瀬戸内国際芸術祭などを見に行って楽しんだりした。
短大で「服飾工芸」を学んだ時、京都出身の工芸の先生から「バウハウス」について教えてもらったことが印象に残っている。イギリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」まで遡るといわれるそうだが、そのあと柳宗悦の「民藝運動」について知ると、工芸の「用と美」までが私の中で一本につながってきた。
実は、私自身は絵を描くのがずっと嫌いだった。理由はたぶん「下手だね」などと揶揄されたことがあって、劣等感を刻印されたからだろう。学校で描かされるのも、なんとかごまかしてやってきた。人が見ているような時も(実際には見ていなくても)一人の時でも、「絵を描くのは苦手」と自分で封印してきた。
最近「脳の右側で描け」だったか、お手本の絵を逆さまにして、見たまま描きましょう、という本を読んで、色鉛筆でやってみたら案外うまくいった。そこで机の周りにあるものを少しずつスケッチしたら、なんとなく楽しかった。時間が長くかかっても、誰からも「早くしろ」とは言われない。「うまいね」とも「似てない」「こんなの絵じゃない」とも言われない。
自分だけでじわじわ楽しむのがいいなと思う。少しやって飽きたら別のを始める、そしてまたしばらくして戻ってきてアレンジしてやってみる。そんなふうに自分をご機嫌にしながら日常を彩っていく私のこれまでを書きました。
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