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自分を知るにはたくさんの失敗も

随分前になるけれど、東京都の広報かなにかで、東京都立洋裁学校の募集記事を見て、応募したことがあった。早めに言っておくと、この学校は私の卒業する年に閉校となり、その後に介護の学校ができたと聞いた。

子どもが学校に行っている間にちょっと時間ができた時があって、なんとなく行ってみようかなと思った。洋裁と編み物のコースに分かれていたので、あまりできない編み物を教えてもらおうと「編み物科」を選んだ。

行ってみると、そこはまるで学校のような(まあ学校なんですけど)仕組みで、入学式があり、先生の説明の後、作品の提出があり、点がついて返され、お手本はボディーに展示された。ついでに言うと卒業式もあった。

私はほとんど初心者だったので、イチから先生の話を聞いて、宿題をこなす生徒のように、きちんと編んでいくことでいっぱいいっぱいだった。だが、ふとまわりを見回すと、他の人は「なんで来たの?」と言いたくなるくらい、編み物が大好きで、得意な人だらけだった。先生が説明した翌週には、もうほとんど仕上げているようなありさまで、私とは雲泥の差だった。

編み物をしたことが無い人向けに説明すると、洋裁と違って、材料は糸なので、それを自分の手で編んで生地を作る。その時、その人の指の太さや糸の引き具合で、生地が締まったり、あまかったりする。だから「ゲージをとる」と言って、まず小さなサンプルを、例えば10センチ角くらい試しに編んでみて、糸の性質と自分の編み方の癖のデータをとる。

自分の体の寸法に合わすには、一体何センチになるように編めばいいのか、編む回数を何回にすればその寸法になるかを割り出していく。編み物には様々な編み方があって、そのバリエーションの豊かさと、材料の毛糸の風合いの組み合わせが幾通りもあるのだが、編み方を変えるとまた寸法が違ってくる。

私のようなおっちょこちょいは、しょっちゅう数えそこなって、編んではほどき、ほどいては編む繰り返しで、なかなか進まなかった。ましてや「編み込み」になると、ややこしくて頭がついていかない。「編み込み」というのは、二色以上の別糸で模様を描きながら編んでいく手法だ。

編み物は始めに決めた寸法(設計図のようなものを作っておく)になる数だけ、鎖編みというのを編む。そのあと本格的にその目を拾って編み始めるのだが、編んでいる面を「表編み」といい、最後の目を編んでひっくり返すと、そちらを「裏編み」と呼び、往復で編んでいく。「編み込み」模様で色を変えて編むと、裏返してその続きを編むとき、模様がちゃんとつながらなくてはいけない。

そう、編み物は頭を使う。慣れた人はおしゃべりしながら、込み入った図形を猛烈な速度で編んでいく。しかも真四角に編むところは少なくて、体の曲線に合わせて、目数を減らしたり増やしたり左右対称にしなくてはいけない。これがまた複雑なので、やり始めると根を詰めてここまでしなくちゃ、と編むことになる。

そこで気づいたのだが、私の体は編み物に適していなかった。(気づくの遅すぎる)肩がゴリゴリに固まって、頭の後ろあたりを押すとキーンとする。それに目も霞んでくる。編み物が好きな人で、暇さえあれば編んでるような人に聞いてみると、そんなことはないという。卒業後何回かセーターを編んだりしたけれど、やっぱり私には向いていないようだった。

それなのに、その基礎科が終わると応用科があるというので、とうとう2年在籍して、最後に一人ずつファッションショーのように、自分で着て歩いた。戦後の職業婦人育成の訓練のためにできたらしい学校だったが、役目を終えて閉校するというので、いらなくなる本や定規をその時いただいた。

「ギフト」と呼ばれる天からの才能を持たない多くの人は、自分のしたいことと、できることを見極めて、なんとか暮らしていかなくてはならない。思えば私は自分の適性の無いことばかりを、成り行き任せでしてきたように思う。もし、もう一度はじめからやり直せるのであれば、軽い気持ちでいろいろな種類を試してみて、ずっとやっても嫌にならないものなら、仕事にしてもいいかなと思う。

そして本当に好きな時間は、余暇で生かして行くほうが、長く楽しめるのではないか、と考える。新しい服のパターンをハトロン紙に写すとき、あの洋裁学校でもらった古い曲線定規を今も使う。あのとき学んだのは、編み物だけではなかったと今ごろになって思うのだ。


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