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外国人という言葉を使わなくなった理由

日本では一般的に海外から来た人のことを「外国人」と言うと思います。僕も昔はそう言っていました。でもある時を境に、この言葉に差別的な感覚を持つようになりました。それ以来、僕は意識的にこの言葉は使わないようにしています。

GAIJIN

ロンドンの時の同僚に、とても日本が好きな人がいました(この人に限らず、おおむねみんな日本には好意的でした)。その人は大学生時代にインターンとして日本の会社に働きに来るほど日本のことに興味を持ってくれていました。目黒川沿いの中目黒エリアがすごく好きと言ってたのを覚えています。

日本のカルチャーやその職場のことをとても気に入っていて、彼はそのまま日本で数年働いても良いと思っていたそうです。ところが彼には気になることがあったそうです。それが「外国人」や「外人」という言葉、そしてそう扱われることでした。

「日本では、いつまでも僕らは”GAIJIN”にしかなれいから」

これが彼が僕に話してくれた、日本に残らなかった理由です。すごく寂しそうにその話をしてくれた彼の表情をよく覚えています。

外国人や外人という言葉を投げかけられる度、そして外国人や外人として扱われる度に、彼は日本には居場所がないんだなと思ったそうです。

ジンとヒト

外国人や~人(ジン)という言葉は、集合としてひとくくりにされていて、個としてのアイデンティティが剥奪されているように感じます。その無意識の線引きによって実際に彼は疎外感を覚え日本には残りませんでした。

彼の話を聞いて以来、僕自身も日本人としてひとくくりに呼ばれることに違和感を感じるようになりました。

ちゃんと一人の人として接して欲しいし、自分も他の国や文化圏の人に対して一人の人として接したい。そう思うようになって、「~ジン」という言葉ではなく「~のヒト」という言葉を使うようになりました。

彼はフランスの人だったのですが、フランス人ではなくフランスの人。イギリスならイギリスの人。外国人ではなく海外の人。小さなことかもしれませんが、これだけで大分印象が変わると思っています。ちゃんと個として接しようとする気遣いを感じます。

彼が日本に残ってくれなかったのは残念ですが、その教えをもとに少しでも差別のないフラットな生き方が出来ればなと思いました。

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