楽しいと楽しむは違う

形にしたものが先を行く。
何もしないものは何にもならない。
たとえ能力があっても形にしないなら価値がない。

私は音楽でも、アニメでも映画でもそうなんだけど、純粋な消費者になることができない。なんとなく作り手の視点になってしまう。何か誰かの作品に触れるたびにあれこれ思う。より良いものが見たいという欲求が強いのか、良いと思ったところは置いといて、じゃあここはもっとこうしたらもっと良くなるだろうとか、そういうことばかり考えてしまう。それは他人からしてみればただの文句垂れなので、最近は黙っていることが多い。本当はああだこうだ言いたくても、求められていないのにそういうことを言うのは相手の気を悪くするだけである。私は色々言われたいから言いたくなっちゃうけど、そうじゃない人が多いから言えないし、自分に対してもあんまり言ってくれる人がいない。そういう意味では孤独を感じることもよくある。

私は全然ダメなのに、誰も私のダメなところを指摘してくれない。それでいいんだよとかあなたはすごいんだよとか、自分の周りはそんなやさしくて甘い言葉をくれる人ばかり。ありがたいことなんだろうけど、私はいつもちょっと虚しい気持ちを抱えてる。ダメなところはダメじゃなくなるような意見が欲しい。自分でダメなことはわかっても改善点を見つけるのが難しい。そもそもダメを共有できる人が少ない。自分が求めるような意見を持つほど、他人は私に関心がないのだ。

夫がボイトレに通い始めてから、多少音源をいじる機会があった。音源編集作業にはもうブランクが10年くらいあって、10年やらないうちにPCのOSは変わったし愛用してたDAWは使えなくなったしそのほか色々とほぼゼロ状態からのスタートとなった。同人ボーカルでたくさん歌ってた頃のことは昨日のように思い出せるけど、あの頃の何にでもチャレンジするだけの情熱は身体が忘れてしまった。老いたのである。新しいことを覚えるのには馬力がいる。

私はずっと楽しめる音楽を探している。音楽に限った話ではないが、みんなが楽しい楽しいということを、いまいち楽しめていない自分がいる。自分の感覚をダウングレードさせてその場を楽しむことはできないこともないけれど、その時間が過ぎ去った後に残るのは強烈な寂しさと虚しさである。

強欲と言われればそれまでなのだが、私がわざわざ楽しむ努力をしなくても楽しいと思えるものに溺れたいのだ。自然体で。心から。そういうものをずっと探してる人生な気がする。別に周りが特別つまらないのではなくて、私がつまらない人間なだけなので誤解のないようにして欲しい。同じ酒を飲んでもすぐ酔って楽しくなる人と全然酔えなくてだるくなるだけの人がいるでしょ?後者が私。

そんな感じでほとんどいつも退屈そうに死んだ目をしている私は最近、推しの子にはまっている。流行りにはあまり乗らないというか、乗れない人なんだけど、はまっている。音楽も映像も物語も私からしてみれば文句のつけどころがない。永遠にB小町を聴いている。夫にも珍しいと言われた。自分でもそう思う。二次元に推しの女の子ができたのなんてローゼンメイデンの翠星石まで遡らないといない気がする。有馬かな最推しです。よろしくお願いします。

あとこれも関係ないけど、倉橋ヨエコが復活したことにも触れておきたい。ヨエコは私が好きになった頃には既に廃業していたのだけれど、若い頃の辛かった日々を支えてくれたアーティストなので、今後また新しい音楽が聴けるならとても嬉しい。おかえり。

スマホを眺めていて気づいたら数時間経っている現象をどうにかしたい。

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