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帰れない場所

頭の中の言葉だとか感覚だとか内容を文字に起こすことは昔から苦手としてきた。なにせAもBもCも同時に考えるせいで、ときにはBの後にAをもってきてまたBにもどるようなもので、一方向に流れる文字に当てはめて並べていくことが難しい。最近本を読むようになったが、言葉に出来なかったあれそれを、そのレールを見よう見まねで真似るように少しずつ言語に出来るようになるかもしれない。これは訓練であり練習の一歩だ。

僕の出身地は美しい街だ。

遠景の青い山が一周を取り囲み、大きな川が悠々と流れ、その脇に何かのシンボルのように高くはないが大きく険しい山がある。ほどよく田んぼがあり、住宅が密集し、電車が走っている。夏には蛍が飛び、サギが飛び、川ではキツネが走っている。少しずつ田畑が削り取られ、家が増え、道路ができ、緩やかに衰退している(一般には発展と呼ぶ)ものの今日もその風景は変わらない。変わらないことを願っている。

大学で遠い都会に身を挟むまで、僕もまたその風景の一部だった。地元が好きだ。帰りたいと思うし、あの町と川と空気と色が好きだ。もし土地という神様が存在し姿を持っていたら、それは言いようもなく素朴で飾らないが透き通った姿だったと思うし、1度や2度はどんな形であれ心を奪われたと思う。

遠くて近いこの街まで長休みのたび僕は帰ってくる。夜行バスで10時間、あるいは12時間。隣の少し大きな街で下車し、電車に乗り換えて30分。そして母親や父親と顔を合し、なんでもないことを話し、友人に会ったりして、そしてまた狭いワンルームに帰る。

僕はこの場所が本当に好きなんだと思う。
成人式が迫っている。この土地で生まれて育って、遠い街に戸籍と色んなものを置いてきたまま皮だけ戻ってきた。置いてきたというか、そこで失って混ざってしまった。
僕はもうここの人ではないのだ。

実家もしばしすれば退屈になり、当てもなく昔馴染みのあるはずの河川敷の辺りを雑に歩いた。山が僕を見ていたし、拒んでいた。風は冬の冷たさを持ちながらも優しかった。でも僕はここに居ては行けないしこの風は僕じゃない誰かを、あるいは過去の僕だけを撫でてくれるのだと思う。

もうこの場所には入れない。変わってしまった。
この場所は余りにも透明すぎたし、僕は別の色が混ざって、言葉を借りれば準透明だった。汚れた海で息をするタコは綺麗な海で死んでしまう。都会の狭い空を見上げてため息をつくことに慣れてしまった僕にとって、この透明な青さは優しく体を蝕む美しい毒だった。

透明な街は息苦しかった。大人になったらここに戻ってきて暮らしていきたいと長い間言ってきたし、それもまた本心なのだと思うが、実現のしない願望である。あるいは僕がずっと、1度も外に出ることなく、都会の喧騒を吸うことなくこの透明な土地で息をし続けていたら、それも叶ったかもしれない。しかしもう時は流れた。

都会は嫌いだ。ぎゅうぎゅう詰めになったパッチワークの端切れのひとつとしてデタラメに縫い合わされる。こんな場所に長居はしたくない。しかし僕の形をした隙間のある土地はもう無くなってしまった。僕がなくなった。

この世界で僕は一人ぼっちだ。孤独な渡り鳥のように、宙を舞う用済みの紙切れのように行く場所も帰る場所もなく彷徨うしかない。この美しい街を神様を思い続け焦がれ続けながらどこにも場所のないパズルのピースとして各地をただ放浪する。そんな予感がする。

どう生きていくかも分からない。どこで生きるかも分からない。未来はホワイトアウトして何も見えない。でも縋るべき過去すらもう僕の後ろにはない。一人だ。どこまでいっても。背中を預ける人も肩に寄りかかる人もいない。だから、少しでも何かを求めて、とりあえず前に進むしかない。

ありがとあとさよならを言わなければならない。僕はもう大人になってしまうのだから。アリスには戻れない。

それでもこの街が好きだった。

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