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お茶ぞ?

ペットボトルのお茶を買って飲んだら、信じられないくらいにおいしくなかった。
ほうじ茶の類だったと思うのだが、製法が良くなかったのか、そもそも茶葉の選別が良くなかったのか、なんとも絶妙な味わいだった。
そんな風にほうじちゃわないでほしいよ。

いや、お茶ぞ?と思った。
お茶でおいしくないって、お前……。


そういえば以前、どこかで食べたカレーがあまりにおいしくなくて驚いたことがあった。
具材を煮込んでカレー粉をぶち込めばそれはカレーです、ですよ、ですがね、やはりおいしくなかったのだよね。いや、カレーぞ? と思ったのだった。

料理で味付けにミスったらとりあえずカレー粉を放り込んどけば、全てをイーブンに帰することができるという認識、ありゃなんだったのか。夢かな?

お茶にせよカレーにせよ、「まずくなりようがなかろう」と思っていたものが予想外のおいしくなさを発揮したとき、そこには落胆というより驚きのみが存在するのだ。

かといっておいしさの違いが分かるかといえばそうでもない。
安いものでも「おいしいなあ」と思うし、高いものでも「おいしいなあ」と思う。

どんな肉を食べても「肉だなあ。おいしいなあ」と思う。
高級な刺身を食べても「おいしい魚だなあ」と思う。

めちゃくちゃ高級なお店に連れて行ってもらう機会があって、「これはどこどこ産地のうんぬんかんぬん製法でこしらえたどうのこうの」という説明を受けて料理を出されても、「ああ、おいしいなあ。いつもよりおいしい気がするなあ」と思う。

だが休みの前日に、気の知れた友人と何かを食べるときには、たいしたものじゃなくてもすごくおいしく感じられる。

こういう場合、くつろげるシチュエーションそのものを楽しみ、味わっていることになるのだろうか。
いずれにせよ、私の味覚がはちゃめちゃに鈍いことに変わりはない。


おいしくないお茶もカレーも、富士山のてっぺんで飲んだり食べたりしたら「おいしいなあ」と思えるのだろうか。

いや、その場合、「つかれたなあ」の方がどうにも勝りそうで、やっぱりお茶はお茶ぞ? となりそうなのだよな。お茶は単品でもうまくあれよ……。