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トラウマに執着し続ける

30歳でヨガを始めた。理由は単純明快でダイエット目的。ホットヨガは汗とととに老廃物を流すなんていう謳い文句ですぐにハマるが痩せない。それは、ヨガをストレッチと同等に捉えていたし、習い事していますみたいな、リア充的(←もはや死語)なことだけに満足していた。そんな目先の刺激だけ求めているから、すぐ飽きた。そこでアシュタンガヨガに出会うのだが、(近所にスタジオが出来た!)これが自分と向き合うことになった=魂に従って生きる=スピリチュアルのきっかけである。
アシュタンガヨガとはアーサナ(ポーズ)の順番が決まっていてグルジと言われる師(先生)からアーサナをもらい進めていく。畳一畳も満たないヨガマットの上でアーサナを通して自分と向き合うのである。これがしんどい。まず人は他人と比べて優れている劣っているとジャッジする。同じくらいに始めたのにあの子の方がポーズたくさんもらっているだの、なんか私ばかり注意されるんだろうだの、この前と同じ事を注意されてやっぱり私はダメなんだの、もうなんでアシュタンガヨガしているのか分からないだの、暑い、疲れた、お腹すいたと色んなことがキレッキレに思い浮かぶ。「ヨーガハ チッタ ヴルッティ ニローダハ(ヨーガとは心の動きを静かに収めることです)」には程遠い。思い浮かぶ事に対して、また良いとか悪いとかジャッジするからもう頭も身体もちぐはぐ。また次のポーズをもらったのに「どうせ私なんか出来ない」とストッパーをかける。
外に感情、感覚は散らばっている状態である。それを、先生は見ていて(分かっている)絶妙な所で話が入るので、これが図星☆であって自分とイヤでも向き合わなくてならない時である。アシュタンガヨガはとにかく呼吸が大事でウジャイという呼吸法でアーサナをするが私は呼吸が辛くてアウターだけでアーサナを取っていた。そうするとエネルギーが駄々漏れだしとにかく疲れる。翌日は筋肉痛だけが残る。本当は週6日練習するものなのに、1週間ぐらい続く立派な筋肉痛が続いたら練習どころではない自分。また自分をダメだとジャッジ。
自分と向き合うって何?、心の動きなんか止められないよ。。。なんて思っていた時に。。
あつ!!呼吸で自分を固めているんじゃん。これを絶妙なタイミングで先生から話があった時に、しばらくして「あつ、自分の生き方じゃん」と気づかされたのである。
呼吸が辛い、苦しい=自分でトラウマを作り出して見えない敵と戦う状態。母親というトラウマを作り出して可哀想な自分、哀れな自分を満たしてもらいたいと願っていたのである。トラウマに執着していたのである。だかしかしなのが執着。私はこれで生きてきたんだから絶対に手離さないとさらに強く握りしめることにするのである。自分でも何を握りしめているのか分からなくなるまで手離さなかったのである。

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