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お祈りマン

東京では昨日から私立中学校の受験がはじまりましたね。
たくさんの受験生がこのために何年も前から塾に通って、模擬試験に一喜一憂し、コロナやインフルの猛威に最大限の注意を払いながら、最後に神社やお寺などいわゆる「神頼み」をしてこの日を迎えたんですよね。

塾の講師をしているときは、受験日の前日に「頑張れ」だけを伝えに回ったこともあったなぁ。今はそういう時代じゃないか笑 今年も教え子はじめ、知っている子もたくさんチャレンジしています。8代目は高校受験だね。みんな頑張れってお祈りするくらいしかできないけど、がんばれ〜

そして、吉報を待ってます。やっぱり、頑張った結果を知れると嬉しいもんです。第2希望でも第3希望でも、頑張った人のお知らせを聞けることは嬉しいもんです。

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さて、今日は「お祈りマン」について書こうと思います。

新年とか、新年度、新学期など節目節目で子どもたちに目標を聞くと、
「漢字テストで満点取りたい」とか「サッカーうまくなりたい」とか、いろいろな目標がありますよね。「将来はプロテニスプレーヤーになって4大大会を制覇したい」なんて聞いたこともあります。

目標をもつのはいいことです。それに向かって、自分はどうしたい、どうやって目標に近づいていくのかを考えて、毎日を過ごしていく。その過ごし方のヒントを得やすい。なんのために練習しているのか理解しているから、練習の効果も高まる。やはり目標があるっていいですよね。

でも子どもたちをみていると「漢字テストで満点取りたい!」と意気込んで当日を迎え、解答用紙を配るときに「お祈り」しているものの、普段のノートとか、宿題とかみてると、この「お祈りマン」に違和感をもっちゃうことがあります。もちろん「サッカーがうまくなりたい」とか「足が速くなりたい」って子の学校の中での生活をみていても、やっぱり違和感をもっちゃうことあるんです。

「〇〇したい!」ってお祈りすればうまくなるのか?って

もちろん、人の目標に対して「無理だ」とか「できない」という必要はないと思います。でも世の中を見ていると、子どもの「自己肯定感」が落ちることを恐れて、何でもかんでもOKにしている風潮があるんじゃないかなぁと思います。「3位だったけど、運動会でがんばったから、ママの中では金メダルだよ!」みたいな。モヤッとする!

目標をお聞いたあと、子どもたちに聞いてみる。
「じゃ、そのためにどんなことしているの?」と

すると
「別になにもやってない」とか
「漢字1回みた」とか
「日曜日にスクールに行ってるから大丈夫」って。。。
おいおい、それで目標は達成できるのか?

なんでそうなるのか。ボクなりに考えてみる
確かに、生まれてから、保育園、幼稚園では、体の成長にともない、できないことがどんどんできるようになる。

わかりやすのは身長で、ジャンプしても届かないところに、身長が伸び、筋力が上がってジャンプ力が増すので簡単に届く。だからといって、カルシウムをたくさん取って、睡眠を心がけて身長を伸ばそうとしたわけでもないし、筋力アップのためにスクワットしたわけではないし、ストレッチをして柔軟性を高めたり、可動域を広げたりしたわけでもない。毎日過ごしていたらできるようになったんだ。いや、気がついたらできちゃってた。

こんな感じでできるようになったこと、記録が伸びたこと、上手になったことは山ほどあるわけで、そういう経験を積んでいれば、たしかに、やる前(テスト前とか試合前とか)に「お祈り」するのは常套手段なわけで。そこまでやってきたことを振り返るとか、最後にストレッチするとかないわけだから笑

と言うことをわかっていても、
漢字テストの前にお祈りするけど、特に一生懸命練習はしてないとか、
サッカーがうまくなりたいけど、週末のスクールしか練習しないとか、
足が速くなりたいけど、別にトレーニングしないとか、
そういうのを見かけるとモヤッとするんです。
お祈りしてたらできるようになるわけじゃない!って

じゃ、どう解決するかですよね。
原因はマインドセットがされていないのです。

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