鼎談が響いて

ニー仏さんとオイルパラダイス京都さん(以下オイパラさん)とこゆるぎ岬さんによる鼎談ツイキャスを聞いた。テーマは「人生の深さについて」をめぐってであった。こゆるぎ岬さんには、どうやら中学生の娘さんと、年齢は不詳だがやはり思春期の息子さんがおられるようで、息子さんは抽象的な話題に食いつくが、娘さんはそうではないという。お話をうかがう限り、こゆるぎ岬さんとしては、ご自身の文学的な繊細な感性を、ぜひ息子だけでなく娘にも伝えたいと望んでおられるようであった。ただし、文学的な感性を持っていようがいまいが、そこに優劣の差は一切ないという主張もお持ちのようであった。

オイパラさんは一方で、文学的感性というよりは宗教的感性について、考えをめぐらせておられるようであった。生きる意味について、ひいては死とは何かについて。何も考えず関心もないよりは、ふだんから感じ考えているほうが、より深みある生を生きられる可能性があるのではないか。それが彼の最近の感慨のようであった。もちろんオイパラさんも、宗教的なものに関心を持たない人が、持つ人より劣っているなどとは微塵も主張してはいなかった。

ニー仏さんは宗教であれ文学であれ、感性があるかないかの優劣とかそういう問題ではなく、生きづらさや生そのものにまとわりつく重苦しさという、ほぼ実存レベルの深みから、仏陀の教えは必要というよりは不可欠と感じておられる様子であった。それは知的に面白いから探求するのではなく、それがないと圧し潰されてしまうから渇き求めることなのだと。ニー仏さんの言語感覚はその澄み渡りにおいて比類のないものなので、「ああ!生きづらい」とか、そういう直情的な表現は抑制されている。ニー仏さんのときに冷徹な言葉遣いが、どこから湧出してくるのかというレベルの話である。

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