感情表現が許される環境

わたしはよく、友人から「何を考えているかすぐ分かる」と笑われる。困った顔、緊張している顔、不機嫌な顔、心底喜んでいる顔...ようするに、すぐに顔に出てしまうということである。自分のうちに湧き上がる感情を隠すことが下手ということである。

ところで、自分の感情を隠すのが下手であるということは、以下のようにも言える。すなわち「自分の感情を隠さなくても困らない環境で生きてきた」と。自分が喜怒哀楽を表に出したときに、それを受け容れてくれる誰かがつねに自分の周りにいる。たまたま周りにいなくても、探せばそういう誰かがいることが当たり前の前提とされる日常がある。そういうなかで生きてきたということである。考えてみれば、それは贅沢すぎるほどに恵まれた環境であると思う。わたしが感情を隠すのが下手で済んだということは、つまりそれだけわたしが恵まれた環境に生きてきたということなのだ。

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