あいまいであること

最近、人類学関係の本をよく読む。

きっかけは前任地での体験である。わたしは牧師そして幼稚園の園長として、干潟と森に挟まれた、どこか秘密基地めいた場所に居を構えていた。廃屋ぎりぎりの、室内でボールが転がってゆくほど傾いた牧師館に住んでいた。ドアは少し壊れており、その隙間からは虫や蟹、フナムシなどが自由に出入りしていた。もちろん彼らの出入り口はドアだけではなかったのだが。

ある日夜遅くに帰宅。牧師館前の駐車スペースに車を停めて降りる。すると狸がいた。こちらをじっと見ている。わたしは狸から目が離せなくなった。どうやら狸も同じらしい。いったいどのくらい睨みあっていたのか。ほんの一瞬だったのか、数十秒か。ふっ、となにかが途切れ、狸は暗闇へ姿を消した。
同じ駐車場でヒキガエルが蟹を追い詰めるのを見たこともある。食べるのかと思ったら、蟹に顔をぶつけたヒキガエルは、相手が思いがけず硬いことに気づき、そのまま諦めてしまったのだった。

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