前に働いていた教会は、低い山と干潟とに挟まれた場所に建っていた。かつて栄えた工場の廃棄物による、小さな埋め立て地の上に建てられたらしい。だからちょっと地面を掘ると、割れた瓶や茶碗なんかが次々に出てきたものだ。干潟の干満は月の周期によってその時間帯が変化しゆくことを、この地でわたしは実感した。真夜中に干潟が広がるのを、点在するわずかな家の灯りで見るのはすばらしい。そこに徐々に海水が流れ込んでくるさまは、命の誕生時もこのようであったかと思わせた。満潮の海面でゆらゆら揺れる月も、ため息が出る静けさだった。実際にはわずかな水音がしているのだが、音が静寂を表現するのである。

やはり夜更けの駐車場で、ときおり狸と遭遇した。狸がこちらをじっと見ている。わたしと狸とどちらが先に目を逸らすか、ここは化かしあい。大きなヒキガエルがアカテガニを追いかけるのも見た。とうとう蛙は蟹に追いつき、鼻先をぶつけて、相手がとても硬いと気づき諦める。蟹は今や石のごとく動かぬ蛙を置き去りに、静かに歩み去る。

防風林もないので、台風が来れば牧師館自体がしなる。あらかじめ閉めておいた雨戸を見ると、ガラス戸と雨戸とのあいだにカメムシがじっと潜んでいる。おお、ここなら安全だ。さしずめノアの箱舟だね。台風が去ると、虫を潰さないようそっと二つの戸を開けてやる。虫は青空へ飛び出してゆく。

書斎の定位置、定時に、几帳面に姿を現すアシダカグモ。その八つ眼がビーズのように光る。わたしは蜘蛛と見つめ合う。眼が違うから「見つめ合う」というのが正確かは分からない。が、そんな気持ちになってくる。蜘蛛も動かず、わたしも動かぬ。わたしは読みかけた神学書を机上に置き、蜘蛛に話しかける。「最近、つらいんだ。たぶん君にはばれているだろうね。君はどうやって、そんなに落ち着いていられるの」蜘蛛は沈黙の智者である。

テレビの裏から流し台へと野ネズミが駆け抜ける。哀れな鼠よ。尻尾が長いと言うだけでハムスターとは雲泥の扱い。きみだって同じ枯葉色なのに。冷蔵庫の下からは埃まみれのアカテガニが気まずそうに顔を出して、また引っ込む。

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