「キリスト教」というカテゴリーの限界

キリスト教とは何か。父・子・聖霊なる三位一体の主を信じる宗教のことである。そしてそのうちの「子」というのは、神であり人であるイエス・キリストのことである。そのキリストが十字架で死に、復活し天に昇ったこと、将来には再臨して最期の審判を行うこと、こうしたことを信じるのがキリスト教である────と、ここまで書いてみて「まてよ?」と思う。

わたしと同じ教団の牧師で、「わたしは三位一体など信じていない。そんなものは聖書のどこにも書いていない、後代の創作物だ」という人もいる。彼はいわばユダヤ教の神を信じ、預言者イエスが神について適切な福音を語ったのだと考えている。

別の牧師は「再臨と最期の審判を強調するのは『地獄へ堕ちたくなければ洗礼を受けろ』と脅しているようなものだ」と、キリスト教の終末論には冷淡である。

今ではだいぶ聞かなくなったが、1960年代頃には、イエスが復活したというのを象徴的にとらえる牧師も多くいたという。イエスは信者たちの「心のなかで」復活したのであって、わたしたちは「心のなかの」イエスに促されて、他者に仕えつつ生きるのだと。学者肌の牧師のなかには、今でもそういう信仰を持つ人もいる。

牧師だけを例に挙げたが、もちろん信徒にも多様な信仰がある。それらを列挙していけば、わたしが最初に挙げたような「キリスト教」という定義はことごとく当てはまらなくなる。しかしその人たちもみな、まぎれもなくキリスト教徒である。

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