スキャンダルとスケープゴート

「わたしにつまずかない人は幸いである。」
 マタイによる福音書11:6  以下も引用はすべて新共同訳

スキャンダルの語源はσκανδαλίζω(スカンダリゾー:つまずく)である。イエスは当時の人々にとってスキャンダルの種となった。そして十字架で殺された。スキャンダルの種となるためには、有名人でなければならない。

なるほど、たしかにイエスは有名人であった。イエス・キリストというが、キリストは苗字ではない。「油を注がれた者」を表すヘブライ語מָשַׁח(メシア)のギリシャ語訳がΧριστός (キリスト)である。油を注がれた者というのはイスラエルの人々にとって祭司あるいは王を意味した。そしてイエスの時代には、メシアが到来してこの世が終わる、あるいはローマ帝国は滅ぼされイスラエルは解放される、そう信じる人々が多かった。そのメシアすなわちキリストと期待されたのが、ナザレ出身のイエスであった。

なにしろ2000年近く昔の話である。有名人とはいっても現代に比べたらずっとローカルな、小さな知名度だったのかもしれない。しかし当時のエルサレム近辺の、一部の人々がイエスに熱狂したのは事実である。イエスはなんらかの奇跡を行い、病人を癒したりした(という噂はまたたく間に広まった)。人々は自分たちの期待する王または祭司、あるいは天からの預言者は、このイエスに違いないと信じた。今でいうスターのようなレジェンドが急速に広まりつつあった。

だが相手への強い期待は、その期待が裏切られたとき幻滅や憎しみに転ずる。つい先だってまでイエスを熱狂的に支持し、「ダビデの子にホサナ(原意はともかく「ばんざい」くらいの掛け声)」と叫んでいた人々が、今度は「イエスを十字架につけろ!」と叫び始めたのである。それは現代とさして変わらない群集心理の恐ろしさである。こうしてキリストとして人々から期待されたイエスは、期待どおりではなかったため今やスキャンダルの種となり、十字架で殺されることとなった。

これは遠い古代社会の話である。だがインターネットの世界には今なお十字架刑が存在する。命までは奪われないのかもしれないが、場合によっては自殺にまで追い込まれる、社会的抹殺刑である。不倫や軽微な犯罪、その他のスキャンダル。先日まできら星のごとくファンから支持されていた芸能人が、どん底へ叩き落される。「裏切られた」「前から気にいらなかった」「あんなクズは二度と復帰させてはならない」、その他にも「あいつは日本人じゃない、じつは〇〇だ」など、聞くに堪えない罵詈雑言。べつに芸能人だけに限った話ではない。大手メディアが匿名で報道した未成年者、あるいは諸事情で名前が伏せられている事件関係者。彼らの実名その他個人情報がネットで晒される。当事者やその知人までもが、もはや日常生活を営むことが不可能になるほど徹底的に。

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